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Target Earth Blog
日々の泡
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DM3 日記 7
(つづき)

4/30は6時に家を出て、成田までDM3を迎えに行った。8時着ということで、ギリギリ間に合ったというか、着いたら、Domたちがいて、ちょうどいま出てきたところだという。DM3の3人と、前回DomNicksでも同行していたカメラマンのRobbie。みんなわりと荷物多いなとか思いつつ、コーヒーを一杯飲んでからこんどは成田エクスプレスで渋谷へ向かった。無事とうちゃくの旨、ゆるマ先生にもメール入れる。時間はあるから普通電車で行ってもよかったんだけど、通勤ラッシュに当たりそうな気もしたので、成田エクスプレスに乗ることにした。渋谷には10時過ぎには着いたかな。まずはみんなをホテルに連れて行き、荷物を預ける。みんなはこの日はフリー、僕は会社に出勤。時間的余裕があれば観光したり、食事したりしたいところだが、仕事もなかなかの忙しさで、しょうがない。

会社にてメールをチェックすると、タマちゃんから原稿が届いていた。なんとかなるだろうか、仕事の隙をついて急いでレイアウトして原稿っつうか、版下っつうか、コピーのもとにするようなものは完成することができた。あとはこれをコピーできるかどうか、だ。当初は入場者全員に配ろうとしていたが、かなりムリっぽいので、More FunのCD購入者にプレゼントという形にした。

5/1になった。この日の僕は仕事なので、バンドは自由行動。Domは何度も来ているのでまあ、どうにかなるというか、気にしないでいいよ、と言われたので甘えることにした。御茶ノ水でヴィンテージのギターを捜しに行きたいというので、稲垣に聞いたのと、自分でネットで調べた情報などを渡しておいた。あとで訊いたら、実際に見に行ったようだ。仕事の合間をぬって、ファンジンを20部くらいは作ることができた。2日目の分はまた明日作ればいいや、と。とりあえず、今日More Funを買ってくれる人の分は間に合うだろう。

仕事の都合があり、リハに立ち会いができないので、ホテルからぷあかうまでの引率はHatemanのジュンが引き受けてくれていた。夕方、ジュンから連絡あり、無事にぷあかうまで送り届けたと。でもドラムのフロアどうするの?とアニキが訊いているということだった。で、確認したら、梶原さんも特にもってくるつもりもなく、要するに無い状態だった。これが前に書いた、僕の考えの甘いところであった。アニキに電話入れると、いわゆるミニキットなので、近所のスタジオにもないだろう、ということと、Flashlightsのタムラさんなら持ってるから訊いてみれば?ということだった。で、ドラムのPascalがけっこう怒っているということだった。こりゃ困ったぞ、ということで、梶原さんにもタムラさんに確認とってもらったり(結局は仕事中でどうにもならなかったんだけど)、アニキにもなんとかなだめてもらったりとか僕もいろいろ電話とかメールとかしてみたけど、結局は調達できなかった。で、サイズ合わなくてもスタジオとかで借りた方がいいかな?とアニキに訊いたら、なしでもできると思うということだったので、そのまま行くことに。蓋を開けてみればPascalはぷあかうのセットと思えない程素晴らしい音を鳴らしてくれたんだけど。ぷあかうに着くと、アニキに、ちゃんと事前に周知しとけ、とお叱りを受け、時間あったのにもったいねえよ、とも言われた。まさにそのとおりである、、、。DomNicksがぷあかうでやってときの動画がYoutubeに上がってるので、それを見せて、どうだ、Marzももっとしょぼいドラムキットでやってたんだよ、ということで納得してもらったらしい。食事に出てたPascalが戻ってきたので、まずそのことを詫びると、ぜんぜん気にしてないよ、ということだったので、まずはホッとした。

お客さんの入りをみて、少し押しでHatemanが始まった。4人態勢になったHatemanは前よりも確実に良くなったな。そのことはアニキにも聞いていたので、やはりブッキングしてよかった。
DM3はTonyがDomとTony用のマイクを持参していたりして、そういうところでもよりプロ意識の高いバンドだと感じた。なので、余計にPascalには申し訳ないことをした、、、。セッティングもチャチャッと済まし、DM3はすぐに始まった。DomNicksをぷあかうでやったときもビックリしたが、DM3も予想以上に素晴らしい演奏だった。Mitch Easterのプロデュースした音源には親しんでいたが、それとはまた違ったロックンロール・バンドとしてのDM3というのが解ったというのもあるし、曲が進むにつれ、客をグイグイと引き込んでいく、ライブ・バンドとしての現場感というものが強力に感じられた。Zero Hourのカヴァーもしているけど、R&R色濃いパワーポップはPlimsoulsの影響というのが大きいのかなとも思った。もしMitch Easterの洗練されたプロデュースではなく、このパブ・ロック感ある音でレコードを作ったらどうだろう?なんていう思いも頭をよぎったりしたが、あのサウンドだからこそ90年代に大きな知名度を得たとも言えるんだろうな。

DM3のライブはグイグイと盛り上げ、ほっといたらいつまでもやりそうな雰囲気もあったが、初日でもあるし、ぷあかうの音出しのリミットもあるので、ほどほどの長さで終えてもらった。マーチャンダイジングはRobbieがなんとなく出していたが、特段打ち合わせもしていなかったので、あいまいなかんじになってしまい、申し訳なかった。買いたい方は勝手にバンドとコミュニケーションとってもらえればよいと考えていたが、不便に感じた方もいるかもね。反省して次の日からは物販にベタ付きするようにしました。そもそもというか、僕の場合「興業」っていう意識でやってないので、そういうことになるのだが、世の中的にはいわゆる呼び屋さんがやるような興業を正しい形だと考えている人も多く、少額だろうが採算とれようがとまいがお金を払っている以上はお客さんだ、ということだと思うので、僕のいろんなオペレーションに対して文句も出るのも当然ではあるのだが、みんな自由に見ればいいし、終わった後バンドと話したければ話せばいいし、サインもらいたければもらえばいいし、と思ってるので、自由にしてもらいたい。Kenのときも自分で物販してたしね。

ライブのあと、ぷあかうで少し呑んだ。一応はウェルカム・パーティー的なたてつけではあったが、DM3のメンバーはそんなに呑む方でもなく、とくにTonyは水を飲んだりしてたので、すぐに帰ろうか?と訊いたら、おまえのパーティーだからお前が帰ると言ったら帰るよ、と気を遣ってくれた。とはいえ、僕も疲れていたので、そこそこに切り上げることにした。明日もまだやることいっぱいあるし、と思いつつ。

(つづく)
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DM3 日記 6
(つづき)

4月になって、DM3とMore FunのCDを入稿し、リリースの方は一安心だが、インフォを送って営業掛けたり、ライブの方もポスターも上がり、Rockbottomのメンバーと僕で各所に貼ってもらうよう配ってきた。ThreeにはDJを入れる予定でいたが、これも決めかねていた。誰にしたらよいだろうか?一番いいのは自分なんだけど、とてもじゃないけど、やる時間ないだろうと思って、Rockbottomのミーティングで話をしたら、こうじが「俺がやる」と言ったので、任せることにした。Target Earthのメンツで固めるという今回のコンセプトにも合ってるし、僕の思うパワーポップを解っているやつでもあるので、いいかなと。

ぷあかうのオープニングを誰にするのか?をまだ決めてなかった。稲垣の弾き語りというアイデアもあったが、いまひとつしっくり来なかった。ぷあかうにポスターを貼りに行ったとき、当然少し呑むわけだが、たまたまそこにHatemanのうち3人が来た。そこで閃いたというか、もともと頭の隅にはあったんだけど、Hatemanはどうだろうか?ということで打診してみた。今回、あまりにも旧知の仲で埋めすぎたので、どこかで新しい血を入れたかった。スケジュールを確認して、その場でOKが出たので、ぷあかうの日はHatemanで行くことに決めた。これでメンツがすべて決まった。

こうじのDJとHatemanの件をネットで告知したり、タイムテーブル確定したりとそれなりにやることは多く、忙しかった。ぷあかうにポスターを貼りに大阪の方もゆるマ先生がいろいろ動いてくれているのを随時確認しつつ、4日にホテルから品川までナビゲートする人も手配したということで大まかに準備が出来てきていた。あとは経験値でどうにかなるだろうという考え。ぷあかうのドラム・セットに関しては、すこし問題があるかも、とアニキから事前に聞いていたので、加嶋くんに実際にチェックしに行ってもらい、報告をもらった。やはりドラマー視点でも貧弱な部分があるということだったので、それをHatemanの梶原さんに伝えた。それで足りないものは持って来てくれるだろうというのが、僕の考えの浅いところだった。梶原さんは、その場にあるものでどうにかする、というハードコアな考えの方だったのだ。ドラムのことは当日、ちょっと問題になるが、それは後ほど。

4月も終わりに近づき、CDが2種上がってきた。2種同時だと結構な量だな、、、おい。出来上がりは両方とも良いものになったと思う。DM3も正一くんが色にこだわったところがあり、少しコストも上がったがその分いい出来になった。僕はそういうところでケチりがちだが、ケチった結果いいものにならないというのは良くないので、今回はそうならずに良かった。More Funの方も自分でやったわりにはイメージにしっくりくるものにはなったと思う。とりあえずゆるマ先生に大阪で売る分を送った。

More FunのCDに関して、ブックレットが貧弱ではあったので、ファンジンで補完したらどうか?という考えがうっすらとあった。本当は最新のインタビューを載せるのがいいと思ったが、時間的には無理だ。しかし、僕にはアイデアがあった。オリジナルMoreFunである須藤くんになんか書いてもらおうということ。須藤くんはMore FunのあとBlewなどにも居たが、のちにハガキ職人としてSPA!のバカサイで幕下裸体力という名前で有名になり、そのあともみんみん須藤などの名前で職業ライターとして活動していた。近年facebookのおかげでたまにコメントしたりという関係だったので、連絡はすぐについた。あとこうじが、CDのライナーに文を書くといいつつ一向に上げてこなかったので、それを書かせるのと、稲垣が文を書くというのでそれを入れる。あとこうじが昔やったインタビューを再録し、ディスコグラフィーやフライヤー画像などで、どうにかGet Action!パンフのような(かなり縮小版だが)ものになると考えた。須藤くんからは頼んだ翌日に原稿がとどき、稲垣もわりと早い段階で書いてくれた。こうじがあいかわらず来なかったが、インタビューの打ち直し(元のペーパーはワープロ打ちなので、そのまま載せると潰れて読めないだろう)その作業をする中で、ああそうだ、タマちゃんはなにか考えているだろうか?というのを思い出した。タマちゃんは現在は東京在住だが、当時は大阪でMore FunやPlaymatesを呼んだ企画やmintというファンジンをやっていたので、なんか書いてもらえないかな?ということで、トミーに聞いてみたら、mintの特別号を作るつもりみたいすよ。みたいなことを言ってたので、それなら合体させるか、ということで連絡を取ることにした。この時点でライブまであと1週間くらいという感じだった。たまちゃんにメールしたところ、出張中で東京に帰ったら書いて送るってことで、あー、だめかもなと思いながらもやる方向で進めることにした。週が明けて27日にまたやりとりし、フライヤーなどの画像を送ってくれたが、文に関してはまだだった。その次の日くらいにようやくこうじから文が届いた。Mintのインタビュー再録もすることにして、それも僕が打ち直すことにした。で、タマちゃんから原稿届いたのが、30日の朝、、、それを急いで入れ込んだはいいが、コピーとか間に合うんだろうか、と、けっこう厳しさを感じていたが、まだ完全にあきらめてはいなかった。

(つづく)
DM3 日記 5
(つづき)

Domに「大阪でやるのはどうか?」と打診したところ、「東京以外で演ったことがないのでぜひやりたい」ということだったので、ゆるマ先生ににその旨を伝え、やる方向で動くことになった。もともと、東京だけにしたのは、金銭的な理由もあるが、僕自身がGW後半は予定があり、動けないという理由もあった。なので、帰りも成田エクスプレスに乗せるところまでで終わりにするつもりであった。もし、大阪でやるとして、連れてってくれる人がいるのかどうか?というのも懸念点としてあったが、そこはなんとかする、ということだったので、僕としては、ある意味助かったというか、楽になったというか(笑)。で、帰りを関空から戻るというコースに切り替えることにした。企画含めて丸投げ感もあるが、自分に都合よく言えば、口出しせずにその地のオーガナイザーにお任せするということである(笑)。Ken Stringfellowのときにもいくつかのライブでこのような形をとったが、自分の想定しない対バンがあったりして面白いと思ったので、今回もその形がいいなと思った次第だ。お任せしたとはいえ不明点などは随時メールや電話で確認をとっていたので問題はなかったと思う。会場はわりとすぐに押さえることができたようだ。前にも書いたけど、東京だったら2月半ばとかで5月頭を押さえるのはなかなか厳しいので、大阪とは少し状況はちがうのだな、とは思った。対バンもわりとすぐに決まったように思う。たぶん、最初のやりとりをしたときにはゆるマ先生の頭の中にはある程度の図が描けていだと思う。やりとりの中で、Paul Chastainの参加が決定した、との知らせがあり、そのことをDomに伝えた。大阪ではPaul Chastainが出るみたいよ、と。彼が言うには、SxSWでMatthew SweetのサポートでPaul がいたのを見かけた?会った?ことがある、という話で、いっしょにやるのは楽しみだという。で、なんかカヴァーを一緒にできないかな?という提案があり、候補曲を何曲か知らせて来た。ゆるマ先生を通して訊いたら、やってもいいという話だった。実際その共演は実現したわけだが。水面下でそのような動きもありつつ、ゆるマ先生はブログを立ち上げたりして告知を始めた。

 僕とRockbottomのミーティングでは、フライヤーよりもポスターを重視していた。フライヤーもあるにはあったほうがいいのだけど、予算もないので、どっちかって言ったらポスターかなと。おおもとのデザインはツアー共通のブランクのものがあり、そこに日本の要素を入れ込んだ。決めかねているぷあかうの対バンとインストアの時間も未定だったが、時間もないので、そこの部分は未定ということで進めた。デザイン、印刷に関してはこうじとBabyBlueの沓澤くんが動いてくれた。あとはTwitterやfacebookなどを使うのはいつものことだが、今回はTarget Earthの20周年でもあるので、いろんな人にコメントをもらったら、告知を連呼するだけよりも継続的に見てもらえるんじゃないかなということになり、いろんな人にコメントをお願いすることにした。それはいまも続いているんだけど。お祝い的なコメントをもらうのに自分でお願いするのもなんかみっともない気もしたけど、久しぶりに連絡とる人がいたりして近況も知ることが出来たし、それにみんなが送ってくれたコメントが自分にとってはいちいちありがたく、感動的なものばかりであったので、最初は宣伝目的であったが、やってよかったと思っている。

 一方で、More FunのCDの方は停滞していた。メンバーの2回目のミーティングがあり、原さんがフライヤー、ファンジンなどの資料を持ってきてくれた。トミーは写真を送ってくれた。練習に関しては進めているとのことだったが、CDの作りに関してはまだぼんやりしたままで時間が徐々に迫っていた。トミーが言うには、「Teengenerateの”Get Action!”のパンフありますよねー、ああいう感じに全部詰め込めないですかね?」みたいなことを言うから、「何言ってんだよ、あれ作るのに何か月かけたと思ってんだよ!」と却下しつつも、どこかで頭の隅に残っていた。それが結局ファンジンを急遽つくるという流れに繋がるのだが。
 More Funのメンバーと話しても自分の中で全体像がまだぼんやりしていて、時間も迫っていて、仕事もなんだか忙しくてうわぁー、って感じになってるから、なんなら延期しようか、とも思ったが、別途稲垣と詰めることにした。
曲順は録音した時系列で。デザインは中上さんがやってくれという稲垣の希望があった。僕はデザイナーではないし、パソコンの調子も良くないのだが、やはり俺らのことを一番解っているのは中上さんだから、という稲垣の言葉と、デザイナーに払うギャラもないということで、ライナー、デザインは自分でやることにした。よって、トミーが言ってた充実のブックレット案は自分には無理だからその時点で無くなったわけだが、、、。僕からは音源の所在はハッキリさせるということ。ある程度稲垣と僕でかき集めてはいたが、保留になっていたのが、FINKが録音した音源4曲のうち、未発表の2曲で、シングルになった2曲のマスターはDATで持ってるのだが、あとの2曲がコピーのCDRだったりして、なるべくならオリジナルの方がいいからそれを探してもらってるんだけど、なかなか返事無かった。もう一度訊いてみて、無かったらそのコピーの方をマスターにしよう、ということで、どうなっているか?と訊いたら、見つかったとの返事があり、さらに音像を調整した形のデータを送ってくれたので、そちらを採用、マスタリングにはなんとか間に合った。一部消しきれないノイズがあったはあったが、稲垣と僕で音をチェックして、これでいくということになった。仕事もけっこう忙しく、来日企画やりつつCD2枚同時の制作は正直しんどかったが、ライナーも書き上げ、デザインも一切色を使わず白黒で(苦笑)仕上げ、なんとか入稿した。ジャケは白黒で手抜き?と言われる可能性もあるが、ここも都合よく言うなら、アーデントのシングル、たとえばTommy Hoehnとかさ、ああいう雰囲気を少し意識した。色が無い方がいいことだってあるんだよ。

(つづく)
Target Earth 20周年へのコメント 12
今日もコメントいただいてますのでアップします!

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TARGET EARTH 20周年おめでとうございます☆

レーベル名からカッコ良く、自分のツボにフィットするバンドのリリースばかりで、
ターゲットアースのいちファンだったので、
RADIO SHANGHAIで7インチリリースが決まった時は本当に嬉しかったです!

中上君はリリースだけでなく、執筆、イベントや来日企画、様々な活動を積極的にされています。

去年は、TEENGENERATE映画のパンフも執筆され、映画の流れでのオムニバスCDがリリース、THE DICTATORSのANDY SHERNOFF来日に繋がり、まさか2014年verの”teengenerate”が音源になり、この日本で生で聴けるとは!感動で泣きました。最高!!

今年はDM3来日、MORE FUN再結成ライブ、それぞれのベスト盤リリースだったり、
90年代と今をリンクさせ、更に突き進んで行くというか、過去を過去で終わらせない!!
常に何かを「仕掛けて来る!」数少ない情熱家で、やはり口だけでなく、行動を起こす人が一番信頼出来る、それが中上君です。それが今も20年前も変わらないのが凄い。
私もそれに乗っかってというか、触発されてます。私の自主企画で出演バンドのインタビューを掲載したフリーペーパーを配布しているのは、中上君のジン"SHAKY CITY!"も影響の一つです。ネットでの文章(アナタが今!読んでるこの文章ですら)すぐに忘れられてしまうけど(忘れないで!)、ジンの様に、紙媒体は、何度もパラパラ読み返せるし、記憶に鮮明に残ります。

ターゲットアースはずっと色あせず、より色濃く刻まれ、リリースされたレコードやCDを聞き返したり、SHAKY CITY!を読み返したりしながら、
過去も現在も未来へ繋がり、私や、ココを読んでる皆さんの記憶に残ります!

中上君!いつも沢山の刺激をありがとうございます☆

チヒロイサドラ(Boys Order/ Vacation Club /ex.Radio Shanghai)

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中上くんと私はほぼ同時期に『DOLL』というパンク雑誌に関わっていました。私は駆け出しのライターとして、彼はカメラマンとして。ペイヴメント、パステルズ……実に多くのアーティストの来日時の取材で中上くんとご一緒したものです。その後、パワー・ポップ、ガレージ・ロック通としてレーベルもやりはじめた彼と取材現場で顔を合わせることは減ってしまいましたが、レコード・ショップのバイヤーの仕事をやりながら、そうやって幅広く国内外のアーティストを紹介する彼の行動力に何かと刺激を受けてきました。

レーベル20周年……つまり中上くんとのつき合いももうそれ以上になるということなんだね。
ジョナサン・リッチマン、アレックス・チルトンなどについて愛情もって語り合える数少ない友人の一人。今もツイッターやfbで彼の書き込みにニヤリとさせられながら、時々懐かしくなってレスポンスし合ったりしてるけど、20年なんて数字がウソのようです。

中上くん、レーベル設立20周年、おめでとう!

岡村詩野

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中上くん、Target Earthレーベル20周年おめでとうございます。 出会ったのはその前になるのか。「Rockin’ & Romance」も行った。 その時のフライヤーが、実家のスピーカーに貼ってあったり、自分が、全身オレンジ色だった頃にPhil Seymourを教えてくれたり。 最高なミュージシャンと一緒に音を出すと、すごく自分が盛り上がるのと同じくらい、いつも聴いたことない、わくわくさせる音楽を届けてくれる最高な一人です。これからもいろいろ楽しみにしています!  

堀江博久(鍵盤弾き)
Target Earth 20周年へのコメント 11
途中ですが、新規にコメントいただいたのでアップします。

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90年代半ば山形県の田舎町の高校生だった私は雑誌「DOLL」を読み毎月通販でレコードを買う事だけが、決して大袈裟では無く日々を生き抜く為の唯一の術でありました。

メロディックもガレージもハードコアもローファイもギターポップも全て並列にパンクという括りのみでそれを田舎町で噛み締め楽しんでおりました。

その頃の事を今思い出しながら書いているのですが、そんな当時初めて「More fun」を聴いた時、もの凄い異質なモノに出会ったと感じ、そしてナンダコレハ!と夢中になって聴いていた事を思い出しました。本当に素晴らしいレコードです。
今となってはある程度根付いた感もある、あのパワーポップサウンドはその時の田舎町の一少年には非常に珍しかったものでしたし、もしかすれば当時の世間の認識もまだまだそんな感じだったのではないでしょうか。

そういう事の繰り返しこそ中上さんのこの20年の奮闘の歴史だったのではないかと思っております。

我々のような後続に素晴らしい音楽の世界の一端を各活動でとても深く紹介してくださってますし、またファンジン「SHAKY CITY」は私にとっては音楽世界においてのアティチュード面においてもとても刺激的なものでありました。特にFIRESTARTERのインタビュー記事は本当に強烈に印象に残っております。

大変失礼な事を言ってしまいますが、私個人的には中上さんはそのとても厳しそうで真摯な活動イメージからか、どこか近寄り難き方という思い込んでた節もあり、2000年初頭の何だか緊張感のあった時代、当時Private Waysだったマサさんに連れて頂き一度ご挨拶に伺った事ありましたが、何だかキチンとした挨拶も出来ずにとてもそれが心残りでありました。

しかし数年前、渋谷の中古盤屋で安レコードを地べたに跪いて見ている私に声を掛けて下さった中上さんのとても優しく穏やかな表情がとても印象深く残っております。私にとってとても嬉しい出来事でした。

20周年本当におめでとうございます!最近レーベルを始めたばかりの私には想像を絶する年月です。

これからもどうかお体にだけは気をつけてまだまだ色々な事を伝えて頂ける事を楽しみにしております!

あと今度一緒に呑みたいです!

安孫子真哉 / KiliKiliVilla
DM3 日記 4
(つづき)

  いままでのDomの来日は、彼の配慮によりヨーロッパ・ツアーであるとか、SxSWへの出演だとか、他のツアーとセットになっていて、その経由地という扱いにしていたゆえ、日本の滞在は途中降機、いわゆるストップオーバーを利用した形としていたと思う。それゆえ、航空運賃に関しては面倒をみなくていいよ、と言われていたのでそのとおりにしていた。Domとの決めとして、利益があればギャラは払うけど、利益でなければ払えません、最低条件として国内の移動費、滞在費、を保証で、あとはライブにかかわる費用も僕が持つ(会場費、ポスター、チラシなど)という形にしてもらってた。つまり、Domは持ち出しが無くてライブできるなら、それでいいよ、という太っ腹な条件で臨んでくれてたわけだ。キャリアを考えれば相応のギャラは必要なのだが、、、それでも厳しいものは厳しいからありがたかった。Stemsの2回目のときだったか、僕が曖昧な感じで、これくらい払えるだろうと言ってしまったがゆえに、利益自体は出たのだが、その額には足りなくて、Domはいいよ、と言ってくれたのだが、他のメンバーが納得せず、Gimmiesと折半で補てんしたこともあった。あのときはGimmiesにも迷惑かけた、、、。そんなこともあって、特に航空運賃のことを考えないでいいというのは、どれだけ楽なことか!それでもDomNicksのときは大赤字だったのだが、、、。
 
 今回はオーストラリア・ツアーの後にこちらに来て、その後オーストラリアに帰るという道程なので、Domが別の方法を提案してきた。CDが出るので、プロモーションで日本に招待する旨のレターを書いてくれと言われて、自分のレーベルや写真家、ライターとしての経歴、実績などをまとめた経歴書とともに招待状を作成し、何度かやりとりして体裁を整えたのち、Domが行政に提出して補助を求めた。それが通過して、航空運賃はなんとかなるとのことだったので、今回も助かったというか、いつもと同じ経費構造で行うことができた。インストアの予定を組んでいたのも、プロモーションという名目に一役買っていたのではないか。日本もクール・ジャパンというなら、日本のいいバンドがツアーする手助けをバンバンやって欲しいとも思うけど、考えてもれば、DM3自体もかなり実績があるバンドなので、このような申請も通りやすいというのもあるだろう。とにかく、自らもオーガナイザーの負担減のために動いてくれるというのはありがたいことではある。

 このこともあり、おおまかな試算をして料金設定もいつも通り安めに設定した。来日ものの料金設定に関しては様々な意見があるだろうが、僕の場合は利益が出ればバンドや共演者、協力者に戻すし、赤が出れば自分の責任としているので、どっちにしろ自分の利益はゼロなんだが、それでもなんでやるのか、というと、バカだんだろうな。とにかく、DIYなライブやパンクのライブは本国でも格安でやっているわけだし、とにかく安くなければオカシイという人がそれなりの数いるが、それは、タダ(もしくはタダ同然)で使えるところがあれば可能だろう。料金設定は会場費がかなりの部分を占めるのと、Domみたいなキャリアのある人を誰かん家でザコ寝というわけにもいかないから宿泊費もそれなりに掛かるよ、当然。他には上に書いたように航空運賃の話もあるし、各種申請の経費もある。単にチケットが高いって言っている人は、かかる経費に想像力を働かせてもらうと嬉しい。ということで、会場に合わせて料金も変えるという解りやすい形にした。僕から見ると、みんなすごい安い料金で頑張ってるよな、、、と思う。

 2月に入ったので、ポスターはまだ上がっていないが、告知だけはした方がよいだろうということでツイッターで告知開始した。あ、いま思い出したが、Playmatesが決定したのは一回告知したあとだった。時系列が前後してすみません。で、ツイッターでの告知は思いのほか反応があった。自分の周りにいるような人以外もリツイートしてくれたり。DM3が意外と待たれていたのか!ということが自分にとっては驚きだった。Domのライブに関しては内容に関しては1ミリの疑いもなく素晴らしいものになると思っていたが、集客に関してはDomNicksのこともあり、消極的に考えていたから。とりあえず損しないようにすればと思って。CDの売上も補てんに使えればいいと思ってライブに発売合わせたくらいなんで。

 そんなつぶやきの中で大阪の山本くん(a.k.a.ゆるマッチョ先輩)がDM3は大阪でポール・チャステインとやればいいんじゃない?みたいなつぶやきをしてて、僕は上記のような理由もあり、経費持つならいいんじゃないか?みたいな返しをしたところ、まんざらでもないというか、やりたいという感じを醸し出してきたので、連絡を取り合うことにした。DM3に対して意外なところからリアクションがあったという感じだ。彼とはもともとクッキーシーンとかの繋がりだったと思うけど、2013年のKen Stringfellowの大阪ライブのときにDJをやってもらって、そのとき初めて会った。そのとき会ってなかったら、今回オーガナイザーを頼まなかったかもしれない。顔を知ってるっていうのは意外と重要だと思ってる。彼のニュアンスを知りたかったから、何度か電話で話した。こちらの条件もOKしてくれるというし、前向きな感じがしたので、Domとの連絡やスケジュール調整はこちらがやるとして、あとは一切口出しをせずにお任せすることにした。とにかくゆるマッチョ先輩がDM3にこれだけ反応したのは意外ではあった。

(つづく)
DM3 日記 3
(つづき)

Domとはおもにfacebookでやりとりをしていた。デザイン素材とか重いものはメールで送ってもらったが、facebookでのやりとりが便利だった。ライブの会場に関しても、Threeもぷあかうもペンギンハウスも別のバンドでやったことがあるので、とくに問題はないとのことだった。
DM3のCDデザインは正一くんに頼むことにした。正一くんというのは旧い友達で、地元横浜で高校のときから知ってるんだけど、その後モッズ・シーンとも関わってThe RareとかFlight Channelとかのバンドをやったりして、いまはバンドはやってないんだけど、イラストレーター、版画家としても活動している。ぼくのレーベルの絡みでいえば、2007年にThunderboltsの7インチをデザインしてもらった。今回彼に頼もうと思ったのは、僕の好きな音楽がある程度解ってて、かつ一般性を持たせるような感じになればいいな、と思ったから。横浜で待ち合わせて打ち合わせをした。「ネットで見た、安そうな居酒屋があるんだよ」とのことでそこに行ってみたら、入口からボッタクリの匂いがプンプンしてたりして、やばいなーって普通に一件目居酒屋で呑んだんだけど。デザインのアイデアをいろいろ話しつつ、モッズ・シーンの昔の話とか面白かったな。成増モッズの話とか。追加で写真素材をDomに送ってもらった上で写真メインとかいろんなアイデアをくれたが、最終的にはイラストで行くことにした。決してDM3のルックスが悪いってことじゃないけど(笑)CD屋で、いろんな人に手に取ってもらったり、まず試聴機で聴いてもらったりっていうことにするにはどうしたらいいかな?とか考えて、イラストで、色味も僕には思いつかない微妙なイイ色で決めてくれた。ライナーにはDomが書いたヒストリーをあてることにしていたが、Domが何回も日本に来ているのになかなか認知されなかったという事実を残すために、それとは別に日本におけるDomの活動歴、みたいなことを書いておくべきだと思って、それは自分で書くことにした。歌詞に関してはDomも載せる意思がなかったようなので、載せないことにした。日本盤は解説よりも歌詞・対訳が載っているべきだという意見もあるだろうけど、聴き取りで覚えてもらうってことで(笑)とにかく、今回はライブがTarget Earth20周年の企画でもあるし、レーベルの作業に関しても旧い友人を頼っていくのも悪くないな、と思った。
同時に、旧い知り合いであるTくんが店長を務める渋谷のHMVにインストアの打診をしてみる。まだ早い段階だったので、5/2で押さえられますよ、という返事だったので、押さえてもらう。ここの部分は昨年、アンディー・シャーノフでやったパターンを踏襲したというか。CDのアピールにもなるし、夜のライブの誘導になればいいかな、と思った。
さて、ライブの対バンはメインのThreeはMore Funは決まりで、Tweezersもアニキにオファーして次の日には全員のOKが出たくらいサクッと早く決まった。あとTrio、Raydiosなどもいるが今回はパワーポップ寄りで行きたいなと思い、聖くんにアプローチすることにした。Playmatesの状況というか、何年もやってないのは知ってたし、聖くんもソロ活動をしていたので、僕からは、「聖くんのやっているバンド、またはソロ、どのバンドでもいいから出てくれませんか?」とオファーをしたら、数日後に電話をくれて、Playmatesで出ます、という返事をくれた。こちらの意図を汲み取ってくれてPlaymatesで調整してくれたんだ、と思うと嬉しかった。PlaymatesはK.O.G.A.から多くのリリースがあるけど、Target Earthでもシングルを1枚出してるからね。
これで個人的には最強の布陣が集まった。プラスDM3だからね。これで客が入らなかったらTarget Earthも終わりだし、大袈裟に言えば東京のロックも危ういだろうな、という気持ちだった。More Funが出るゆえ、メンバーが被るRockbottomとBeat Caravanは必然的にペンギンハウスの方へ、ということになった。ぷあかうの対バンはワンマンでもいいのかな?弾き語りみたいなのがいいのかな?などずっと決めかねていた。もうひとつ、隠し玉としてThe Evil Hoodooにもオファー掛けていたが、結局OKは出なかった。

(つづく)
DM3 日記 2
(つづき)

DM3は4月にオーストラリアの国内ツアーを予定しているとのことで、日本のスケジュールは4月末から5月頭ということになった。なので、CDの進行も早くしていたわけだ。音源マスターはかなり早い段階で送られてきた。CDの限界くらいビッチリ入っているが、自分で選曲したのもあり、通して聴いても長く感じない内容になっていた。マスタリングに関してはそんなに大きくいじっている感じはしなかったが、聴きやすい感じにはなっていて、懸念していた音圧バリバリの感じではなかったので、安心した。前後して写真素材やヒストリー文などのデザイン用素材も徐々に送られてきていた。

東京で企画やっているひとだったら解るかもしれないが、ゴールデン・ウィークや年末年始の企画ってけっこう鬼門で、東京から人が居なくなって集客が厳しい場合が多い。だけど、まあなんとかなるだろうという根拠のない自信と、自分が会社休める(有休申請などしないで済む)という理由により、そのスケジュールを飲むとことにした。これも東京で企画やっているひとなら解ると思うが、条件のいい(立地、料金など)ライブハウスは土日を押さえようとすると半年前には動かなければいけない。3日間やるとして、メインになるようなところはなるべくいいところを押さえたいと思ったが、この11月くらいのタイミングでもやや厳しかった。いろいろ仮押さえしてあるんだよね。で、ゴニョゴニョと調整した結果、メインを下北Threeに据え、前後をぷあかう、ペンギンハウスで固める形にした。

ROCKBOTTOMとのミーティングの中で、この企画自体をTarget Earthの20周年という建てつけにしたらどうか、という話になった。単純にDM3来日、というよりも盛り上げ要素になるんじゃないか?というアイデア。それはいいね、ということで、後付ながら20周年企画として位置付けた。位置付けたと言っても勝手に宣言しているだけの話だが。Target Earthの20周年ということであれば、サポート・バンドもレーベルのバンドで固めたらいいのではないかという話になり、そこに関しても動くことになった。

MORE FUNに関しては、以前から稲垣と話をしていた。世の中のパワーポップ状況を見ると、いまあらためてMORE FUNを出して世に問う意味はあるのではないかという話をずっとしている一方でメンバー自身が焼いたCDRで音源が出回っているので、ちゃんとマスタリングして出そうよ、ということでCDのリリースの可能性を探っていた。で、どうせなら、この20周年にぶつけて再結成ライブ&CDリリースで行けば集客&CD売上になるのではないか?ということになって、とりあえず1月にメンバー全員で集まった。とくに反対するものはいなかった。ライブまでのスケジュール感、音源の所在や写真など資料の確認などをして、もう一度会う、ということにした。CDに関しては、信用してるからお任せしますよ、みたいな感じのことを言われたが、まあ、丸投げだよね!とりあえず、CDは元々の構想どおり、稲垣と2人で進めることにした。これがけっこう大変だったのだが、、、

(つづく)
DM3 日記 1
アンディ・シャーノフの話の続きを書こうというのが何週間も頭の隅にはあるが、記憶が新鮮なうちにDM3のことを書いておこうと思う。写真はぜんぜん撮ってないんで、文字だけでごめんんね。

思い起こせばDM3の来日オファーはこれよりも前に何度かあった。最初は2011年の4月に予定し、ライブハウスも押さえてあったが、DM3のツアーの都合によって流れた。これは流れてよかったのかもしれない。このとき、あの大震災があり、みんなライブどころじゃなかったはずだ。しかしながら、日本のバンドだけの自主企画に変更してライブ企画自体は敢行した。もう忘れてる人も多いと思うけど、ライブなんかやってる時かよ?と言われてもおかしくないし、ライブハウスに電気は供給されるのか?などということも心配しながらのライブだった。だから、このときは来なくてよかったと思ってる。

次は2012年の秋だった。これはDomの希望により結局、アルバムを出したばかりのDOMNICKSで来たいということでDomNicksの来日ライブ企画になった。そのあと2013年にもオファーがあり、SxSWのついでに来たいみたいな話があったが、これも都合により流れた。僕としては、これも流れてよかったと思ってる。なぜなら、DOMNICKSでけっこうな赤字を喰らって、金銭的にも厳しかったし、Domのお願いであっても気分的にやる気になれなかったからだ、、、。
DOMNICKSの来日は、ライブの素晴らしさと反比例し、動員に関してはひどいものだった。金の面での赤字ももちろんだが、Domに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。DM3のDomとCortinas / ClashのNickだよ?なんで来ないのか?宣伝不足というのもあるだろうけど、いろいろモヤモヤするものが残ったのはたしかだ。余談だが、日本語解らないからって、Nickの目の前でCut The ClapはClashじゃないよね、とか言いながらサインをもらうという失礼なやつもいた(苦笑)。成田に送る電車の中で、お互いほぼ無言だったが、「DomNicksは日本では全然知名度がないからしょうがないよ」とDomが言ってくれたのが救いだった。

 その後、2014年の9月ごろにfacebookのメッセージで「来年の4月くらいにDM3で日本に行きたいんだけど」って来て、DomNIcksのダメージもありつつ、DM3なら充分行けるよな?って気持ちもあったりで数日悩んだが、まあ、やるなら自分がやるしかないんだろうな、という気持ちで、ゆるい感じで考えてみます、という返事をした。
基本は自分一人で動くとはいっても、随所でいつも手伝ってくれているROCKBOTTOMの稼働も必須になるので、彼らに相談したところ、やるべきだという話になったので、そこに背中を押されたこともあり、やることにした。
Domとのやりとりの中で、DM3はそこそこの知名度があるけど、日本ではもうほとんど音源が手に入らないという話をした。2013年にベスト盤が出ているのは知っていたが、それも主にヨーロッパ・ツアーでのマーチャンダイズ販売だったということで、では、日本で独自のベスト盤を出したらどうだろうか?ということで提案したところ、それはイイね、ということになったので、来日の準備と同時に進めることにした(あとあとMore Funのベストも同時リリースという計画になりけっこうしんどい進行になるのだが、、、)。
ライブハウスを押さえると同時にベストの選曲もぼちぼち初めていた。稲垣のアイデアでは、彼らはライブが良いので、ライブ曲も入れた方がいい、ということで、たしかにな、と思って、その希望もいれたのと、未発表曲があれば入れたいという旨も伝えた(未発表ヴァージョンということに落ち着いたが)。DM3はけっこうな曲数があり、それらを毎日全部聴いて書き出したりして曲を選んだ。選曲にはいろいろ意見があるだろうが、基本、僕の決めた「マイ・ベスト」で、Domとの数度にわたるリストのやりとりで彼も納得したものだということでご了承くださいとしか言えない。Dom自身も、「ほかにはない選曲のベストになったな」と喜んでいたので。今回あらたにDom自身がマスタリングを行った。ということで、音源の準備はそれなりに早めに進行していた。

(つづく)
Target Earth 20周年へのコメント 10
"Target Earth. A true independent record label.

Its aim and mission: to deliver the pure spirit of Rock n' Roll.

On course for another 20 years.

Happy Birthday."

Bob Kildea (Belle & Sebastian)

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中上さんとは10年前くらいに職場で知り合いました(誰に告白してるんだ・・・)

現れた瞬間に、只者ではないなぁと思ったらなんと。あの「中上マサオ」が同僚になったということはちょっとした衝撃でした。
ブラックデニムのGジャンに付けていたバッジのデザインが、どうしても思い出せないけど。

オフィスの自席にて、意外に大きな体と重めの髪型がチラチラ視界に入ってくる私としては、
日々の色々をいなしながら、丁寧なリリースを20年も続けていることを心から尊敬しています。
(しかも、たぶんみんな知ってるだろうけど面倒見がすごくいい。そこもすごいと思う。)

岡林-コゾウ-大輔(三沢洋紀と岡林ロックンロール・センター)
Target Earth 20周年へのコメント 9
中上さんがいた横浜・馬車道のレコード店で自分もバイトし始めて、エレベーターの前に積んであったチラシやフリーペーパーの中に『Shaky City』を発見したこと。日の出町の小さなクラブで開催されていた「Rockin’ & Romance」というDJイベント、そこで跳ねるようにカッコよく踊る中上さんを見たこと。そんなあれこれから20年が経って、2年前にケン・ストリングフェローとジャド・フェア&ノーマン・ブレイク、お互いが招聘したアーティストが出演する公演を実現できたのは感慨深いものがありました。いつまでも小 さな後輩のひとりとして。Target Earth、20周年おめでとうございます。

福田教雄(Sweet Dreams Press)

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ターゲット・アースというレーベルとの初めての出会いは、'95年、当時バイトしてたレコード屋に入荷した、The Evil HooDooの3rdシングル"Outta Tonight"。自分にとっては、'94年のシェルターでのBack From The Grave企画で初めて見たイヴィルに、ガッツーーンやられて価値観がひっくりかえったのが、ガレージにのめり込む最初のきっかけでした。 だから、当然先の2枚も欲しかったけど、当時の自分じゃ自力で見つけることができなくて。 そんな中、初めてリアルタイムで出会ったターゲット・アースのファースト・リリースでもあるこのシングルを手に入れた時の喜び、何度も何度も聴いた当時の 記憶は、今もはっきりと覚えてます。 一方で、中上さんのことは、ほどなくライター/レーベルオーナー/ファンジン編集長である方として、雑誌等を通して認識することとなるのですが、どうやって初めてご本人と直接お話することができたのか、記憶にないのです。 ですが、知り合わせて頂いてから、自分が渋谷のレコード屋で働いてた2000年周辺頃、その店や近隣のレコード屋でばったりお会いする度に、今じゃ当たり 前のように自分の知識としているようなたくさんのことを、中上さんには、いつもさりげなく教えて頂いてたなぁと、ターゲット・アースの歴史を振り返ると同 時に、思い出しました。 パワーポップ、パンク、ガレージのみならず、同じくらいギターポップ、ネオアコ的な流れの音楽や、それにまつわるあれこれについても、お話させて頂く度 に、いつもなにげない会話の中でさらりと教えて頂いてる、のは今でもですね。 普段はそんな優しい印象である一方、音楽をジャッジする際には、一貫したハードコアな姿勢を持つ中上さん。 そんな中上さんの生き方そのままを反映させ続けるレーベル、ターゲット・アース。 次のアクション、リリースも待ち遠しいです。 20周年、おめでとうございます!

TOMMY / VIVIAN BOYS
Target Earth 20周年へのコメント 8
Target Earth 20周年、おめでとうございます!
思い返すと自分とTarget Earthとの出会いは12~3年前に買ったTeengenerate / Live at Shelter が初めてであったかと思います。また同時期にRockbottomのメンバーと知り合い、 彼らの1stを聴き始め、気付けば色々なTarget Earthの作品を購入する様になりました。
人によって音楽の聴き方、捉え方は違いますが、大きい流れで捉えた時に、人を惹きつけてやまないものというのは言葉で表すのは難しいですが、必ずあると思います。Target Earthからリリースされる作品や行動にはまさにそれがある様に思えます。今でもこれからもTarget Earthには注目せざるを得ないでしょう!これからもTarget Earthの動向を楽しみにしています!

沓澤 秀哉 (BabyBlue)

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ターゲットアース、私の最初の一枚はMORE FUNの1stシングルだった。”Teenage Sensation”は1996年の思い出の一曲。高校生パンクスのためにせっせとテープをこさえ、ファンジンにヘタクソなレビューを書き、ライヴではこの曲に乗って登場した。
我が街・山口県宇部市にはたった一軒の輸入盤店があった。店内スカスカな商品点数ながらも、ライノの「DIYシリーズ」が長方形外箱付きでストックされているなどオーナーのこだわりが色濃く出たショップだった。布教の甲斐あってかピストルズやクラッシュからこの道に入ったばかりの高校生パンクスたちが最短 距離でTWEEZERSにたどり着いていた。「庇を貸して母屋を取られる」とはこのことで私は” Favorite”を取り逃した。 ANA宇部東京間往復が\45,000。早割チケットなどまだない時代。東京は外国のように遠く、そこで繰り広げられるパンクロックもまた外国のようにキラキラと輝いていた。
オーナーの中上さんとは福岡の友人LJHSを介して知り合った。”SHAKY CITY! zine”の#9が出たばかりの頃でメル友になった。パンクやロックについてたくさんのことを教えていただいた。程なくして我々が東京でライヴを行うこととなり「ぜひ会場でお会いしましょう」となったが対面は果たせなかった。宇部に戻るとこんなメールが届いていた。 「いいバンドだとは思えなかったので声をかけることができませんでした」。 我々のライヴ・パフォーマンスに対し辛口な批評が綴られていた。よくもまぁ、言いたいことをズケズケと言いやがってと憤慨した。その一方でこのヒトはべんちゃらを言わないんだなとも思った。フロアの最前線で写真を撮っておられたことなどまったく気づかなかった。10年後に受け取った。 PSYCHOTIC YOUTHの”STEREOIDS”ではライナーノートを書かせていただいた。私の遅筆ぶりは中上さんの耳にも届いていたようでそれにもかかわらず機会を 与えていただいた。私にとっては入稿の催促を受けない唯一の仕事となった。なんとおおらかなヒトだ。
 少々飛び道具だが最後にひとつエピソードを紹介させていただきたい。90年代後半から00年代前半にかけて、福岡にはNB(*イニシャル)というバンドが いた。彗星のように現われみんなをあっと言わせた。シーンのトップバンドが自らその座を明け渡し彼らの活躍を舞台袖で祈った。 「最初のレコードはターゲットアースから出してほしいよな」。誰からともなくこんな言葉が飛び交っていた。むろん単なる外野の声であり、バンドが解散して しまったことから夢のなかの出来事でしかない。しかし果たしてほしかったと心底思う。ターゲットアースとはそうした存在であったし、それはいまも変わるこ とはない。 BOMP!のようなレーベルを目指していると中上さんはメールで語っていた。20年間の歩み、これまでのカタログに目を通せば初志が伝わってくる。三つ目のディケイドヘの第一歩。さらなる驚きと興奮を届けてくれることに期待したい。

奥滝隆志(ex-BANANA ERECTORS/CLOCK CORNER)
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