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V.A. / I don't like sex について
Follow Upに掲載されたインタビューになります。

こちらで写真入りでデザインされた電子版も読むことができます。

インタビュアーの吉沼さん、ありがとうございました。

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日本にTEENGENERATEがいた。既に解散してしまっているが、そこで日本のROCK’N’ROLLは終わってしまったのか?ガレージ・シーンは途絶えたのか?馬鹿言っちゃいけない。このコンピレーションがその証だよ。このコンピレーションに携わった今回集まって頂いた三人は、TEENGENERATEが活動していた時代にその一番濃い部分を共に過ごした人達。その言葉の一つ一つの重みが違う。そしてその言葉は手に取る人々全てに向けられている。俺とて例外ではない。そう、一人一人が変われれば世界は面白くなる。それを証明して見せたのもTEENGENERATEだった。そんな彼らがこのコンピレーションを作ったんだから間違いはない。これこそが世界に誇る日本のアンダーグランドの底力だよ。

Interview:吉沼栄治

■まずはこのコンピレーションを作ることになったいきさつを。

TARGET EARTH 中上(以下 N):元々は映画『GET ACTION!!』のDVD化にあたって、キングレコードの(ディレクター)長谷川さんから、「何か作りませんか?」っていう提案があって。そこで、ここにいるマサハル君とこうじの二人が主宰していて、TEENGENERATEの復活ライブも行われた“ROCK市ROCK座”っていうライブ企画に沿ったコンピレーションにしたらどうだろう?っていう話から始まって、みんなでアイディアを出し合っているうちに、こういう形になったって感じです。あとはおおまかにTEENGENERATE周辺、それ以降っていう括りですかね。友達のバンドはたくさんいるけど、ROCK’N’ROLL的なバンドってとこに重点を置いて。どのバンドを入れるかという長い議論もあったし、オファーして断られたこともあったし。

■みなさんにとってTEENGENERATEとはどういう存在だったのでしょう?

THE THUNDERROADS マサハル(以下 M):最初に(下北沢)SHELTERで観た時、「日本にこんなかっこいいバンドがいるんだ」って思いましたね。前身バンドのAMERICAN SOUL SPIDERSも観てはいたんだけど、そっちはあんまりピンとは来なかった。TEENGENERATEはタイトでキャッチー、曲が短くてビシっと来るとことか、FINK(G/Vo)の立ち姿を見た時、興奮しましたよ。周りにこういうバンドはいなかったから嬉しくなった。

N:僕は、日本と海外の対比って事ではなくて、単純にうわっとなったのがでかいな。日本のロックの流れとは違うっていうのもあるけど、音楽そのものにビックリしたのはもちろん、実際に付き合うようになって音楽の話をしていると面白いし、音楽に向かう姿勢とかも。影響を受けたって言うと恥ずかしいけど、刺激は受けた。

ROCKBOTTOM/BabyBlue こうじ(以下 K):僕は最初アメリカで会ったんだけど、日本人がアメリカでライブをやるなんて当時は想定外だったんですよ。で日本に帰ってきてまた会って、ライブ情報も載っていないような所でやっているのを観に行ったりして。所謂僕が描いていたパンクロックとは全く違うパンクだったんですよ。派手な格好をしているわけじゃないし。正直僕は影響を受けましたね。出会う以前とは音楽観が変わっちゃうし、自分の中で革命が起こったような感じです。ほぼ毎週のようにライブに行ってましたね。

M:こうじとはSHELTERとかで良く会ってたけど、その頃はあんまり話した事なかったんですよ。FIFIさん(TEENGENERATE-G/Vo)のお店「ぷあかう」(※FIFI氏が下北沢でやっているロック・バー)がみんなを結びつけてくれたっていうのがあります。その場所を作ってくれただけで、世界へ向けてこのシーンが飛び立っていくっていうか。ぷあかうがなければROCK市ROCK座ってイベントもなかったし、今回のコンピに入っているCarCrash っていうバンドも生まれなかったし。

■CarCrashのメンバーはどんな方達なんですか?

M:ぷあかうのお客さんですよ。

N:本間くんは常連の酔っ払い (笑)

K:みんなで「(バンドを)やれやれ!」ってけしかけて。

N:元○○が集まって、とかじゃないんですよ。ボーカルのタカダマ君は昔弾き語りをやってて、僕のレーベルにテープを送ってくれてたんですよ。で、僕も返事を書いて送ったんだけど、話をするようになって、それが嬉しかったって言ってましたね。それが現在のCar Crashになるという。今のドラムは元ロマーンズのちぐちゃんなんで、元○○ですが(笑)

一同:へぇ~。

K:その弾き語りの音源も、このコンピに入れちゃえば?(笑)

■PERIPHERIQUE ESTっていうバンドは?

N:ベルギーの現行のバンドなんだけど、FINKと交流もあって、ぷあかうにも来たことがあって。LPも出ているけどすぐにレア盤になって再発したり。現行のバンドも聴いている人には知られたバンドなんですよね。海外のバンドを入れるのを考えていた時に、TEENGENERATEが活動してた頃の昔のバンドだけでなく、今のバンドを入れたいなって事でアドバイスをもらって。あとはDICTATORSのアンディー・シャーノフがTEENGENERATEのバンド名にもなった曲を再録してくれて。DICTATORSは入れたいなってNORTON RECORDSに聞いてみたら、「アンディーに連絡とってみたら?」って教えてくれて。このコンピは、TEENGENERATEが再結成ライブをやって、いろいろ話題になった時に、「いやいやFIRESTARTERだってRAYDIOSだっているよ」「他にもまだまだいっぱいいいバンドいるよ」って事を提示したほうがいいんじゃない?」って側面もあって。映画観た人の中でも、「TEENGENERATEの人たちってまだバンドやってるんだ」なんて言ってる人がいた位で。

■僕自身もTEENGENERATEに影響を受けていろいろ掘り下げるきっかけになったんですけど。

K:実際きっかけにはなりましたよね。世界中もそういう流れになっているのがリンクしているような状況でもあったし。リサイクル・ショップの店先のダンボールに入ってる、10円のレコードとかまで探すようになったり。
K:その頃の僕らの合言葉が「下を向け!上を見るな」で。(※目線にある棚ではなく、足元に置いてあるダンボールの中の特価品を探せということ)

N:ネットもなかった時代だし、そんな頃にPEZBANDとか言われても誰も知らないって。まぁだからそういう安い値段になっちゃうのも仕方ないかと。そういうのをうちらが汲み取ってた。

K:TEENGENERATEがアメリカにライブに行くと、レコードを死ぬほど買ってきて自慢してくるんですよ。「じゃぁ聴いてみましょうか」となって。当時「夕べ」っていう集まりがあったんですよ。みんなの家にレコードを持ち寄って、朝の4時まで酒飲みながら聴くっていう。

N:それがぷあかうの原型。ほのぼのとした時代だよね。

K:あと、これは時効だと思うんだけど、当時、下北沢のユニオンにいた親しいスタッフに、「パワーポップ入れましょうよ」って無茶振りして、大量に仕入れて貰った事がありました(笑)。

N:TITAN RECORDSとかMICHAEL GUTHRIE BANDとか。

K: NOT LAMEレーベルのカタログのバックストックとか、当時海外でも認められてなかったから凄く安くて。それを皆で下北に買いに行ったりしてね。当時はお店の人も一緒になって盛り上げてった感じですよね。
N:FIFIとFINK兄弟は圧倒的に知識はあったけど、みんながお互いに教えたものもあったし、もちろんレコード店の人からの情報もあったし。圧倒的な存在の彼らから“教えを乞う”って感じでもなくて、みんなでワイワイやってた。そこは地方の人とかは少し勘違いしてると思う。みんなコレクターではなくて、とにかく“聴きたいから買ってる”っていう感じ。そんな感じだから、年齢や仕事とかも関係ないし、上下関係とかもない。バンド関係って上下関係がうるさいイメージあるけど、この界隈はそういうのはなかったよね。

M:このコンピのコンセプトでもあるけど、かっこいい曲を書けるやつが一番かっこいい。純粋に曲で勝負出来ないと。

N:知名度とかじゃない。もちろん知名度もあったほうがいいけど。良い曲を作れそうな人にオファーをする。今回のCar Crashだって初音源だし、福岡のtv.orphansも間違いないだろうって。

M: BabyBlueだけはごり押しでねじ込まれた(笑)!本当はこのコンピもアナログで出したいですね。ユニオンとキングレコードでRECORD STORE DAYの時に出しましょうよ!

K:もしそれが出たら、日本で初めて意義のあるRECORD STORE DAYになるよ。

M:この前アメリカに行ったんだけど、むこうの人の家にはCDプレイヤーがない。あるのはカセットデッキかレコードプレイヤー。それ位アナログレコードの価値が高まってるんだと思う。だからアナログを出してる日本のバンドはむこうでも知られているんだよね。

K:僕はこの前BabyBlueでイギリスに行ったんですけど、RAYDIOSとかを知ってるんですよね。我々からすれば、TEENGENERATEやREGISTRATORSが海外のバンドを聴いてそれを取り入れてるって感じだけど、逆に海外の人達には、日本のバンドが海外のバンドを掘り下げて聴くきっかけになっているっていう、逆輸入車みたいな感じ。日本のバンドがこういう価値観で聴いているっていうのが受け入れられてる。FIFIさんは「俺たちはピエロだ。東洋人がR&Rをやっているを珍しがってるだけだ。」なんて言ってたけど、それだけじゃない。

N:アメリカにはいろんなレコードが溢れてるけど、彼らには俺らのように掘り下げる事が出来なかった。FINKは彼らに「アメリカとか行くと、俺らをいいねって言うけど、その前に自分の国にいいものがいっぱいあるじゃないか。それにまず目を向けろよ。と思うね。」って言うんですよ。KILLED BY DEATHとかBLOODSTAINSとかのコンピレーションを作っていた人達はそういう聴き方が出来てたけど、その他多数の人には、この界隈の日本のバンドが自分の国のバンドの良さに気付くきっかけになっていると思う。

K:アンダーグランドでは世界中でこういう流れが呼応していて、その一部がこのコンピレーションだと思う。日本でもようやくこういう素晴らしいコンピレーションが作れた。みんなそれぞれの役割でもっと世の中を面白く出来ればいいと思う。
N:このコンピで面白いのは、「TEENGENERATEっぽい」っていうのは1曲もないんですよ。明らかにTEENGENERATEの影響下にはあるんだけど、それをそのまま演っている人達はいない。影響受けてもそれをそのまま演るっていうのはかっこ悪いってTEENGENERATE自身が教えてくれたと思う。

■今回のコンピレーションのタイトルについて。

M:毎週の様にこの3人とキングレコードの長谷川さんで、渋谷の三平(酒寮)っていう居酒屋に集まってミーティングしてたんですけど、その話の中で、このコンピに収録されなかった“近親相姦”というバーチャルなバンドが生まれまして、そのバンドの曲名が今回の『I don’t like SEX』だったっていう。この4人の誰かが欠けてもこのコンピは作れなかったと思うから、ある意味バンドみたいなものなんですよ。そのタイトルにも、「あらゆる欲望を捨てて音楽のために生きろ!セックスなんか嫌いだ!」っていうメッセージが込められています。風俗行くならレコード1枚買えよって。

N:『GET ACTION!!』の映画のパンフレットでもFINKが似たようなことを言っているんですけど、「現代の若い人達の興味はセックスが上位にきていて、音楽なんて下の下だよね」って。そことも繋がっている。毎回議論を重ねていて、それに沿ったバンドを集めようって。

K:「音楽で飯を喰うヤツは豚だ!」って所まで行き着いて(笑)。音楽で得た収入は音楽に返さなければいけない。そこまで純粋にいかないと、良い物なんて作れないだろうって。

N:RADIO BIRDMANのDENIZ TEKも同じような話をしていて、「音楽とは別に仕事を持て」って。僕はもうちょっと柔らかく考えていて、音楽を作った結果として飯が喰えるという事は勿論あるだろうけど、それは結果であって、“音楽で飯を喰う”という事を目標にするなって。いい音楽を作ることを目標にしようよって。その意識はこの4人で共通の認識が出来てますね。マサハル君が言うともっと極端な言葉が出てくるんだけど(笑)。「じゃあなんでキングレコードから出すんだ?」って話もあるけど(笑)。

M:いや、こんな事言ってはなんだけど、これが長谷川さんの収入源になるとは到底思えないし(笑)。俺の座右の銘が「人生棒に振れ」なんですけど、キングレコードがここまでやらないと世界は変わらないぞっていうね。

K:全て想定内の事をやっていては世の中は変わらないんですよ。想定外の事をやろうとすれば覚悟も必要だし。そうでなきゃ面白いものは生まれてこないんですよ。

N:世の中にはそこまで考えて音楽をやっている奴らもいるんだよって事を知って欲しいな。俺らアンダーグラウンドの中ではそれは当り前の事だし、ハードコアの人達とかだって勿論そうだし。これをきっかけにまた面白く変わればいいなって思います。これが出ることによって目障りだと思う人も出てくるだろうけど、それはそれでまた面白いし。

M:今回、作る過程が面白かったね。バイクでも目的地なく、走っていることそのものが面白いみたいなもので。それに、これが出ることがまた新たなスタートにもなるし。

N:ほとんどが新録っていうのも重要。皆の気合が感じられる。Young Fresh Fellowsまでが新録を出してくれてるんで。既発音源集めたレーベル・サンプラーっていうのはよくあるかも知れないけど最近ではこういうほとんど新録のコンピレーションってなかなかなかったから。

M:20年後もフレッシュな気持ちで聴けるようなもの、そういう本物を皆が求めているんじゃないかな。

■では最後にひと言ずつお願いします!

N:その時代時代でポイントになるようなコンピレーションってあって。例えばLESS THAN TVから出ていたTVVAみたいな。ああいうコンピレーションになればいいな。それは後々の時代で判断される事だけど。

K:あとはとにかく売る。何が何でも売る。ユニオンで3,000枚売ってくださいよ!こういうものが売れれば愉快じゃないですか。そういう想いをみんなで共有してどんどん広がればそれが俗に言う「革命」ってやつなんですよ。点であったものがどんどん線で繋がっていく。

M:バンドをやるっていうのが重要。これをきっかけにみんなギターを持てばいいんですよ。バンドやらずになにやってんの!少年よ、バンドをやれ!
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Get Action!!のパンフ3
Get Action!! パンフより
映画やってない地域の人やパンフ買えなかった人へ。
長いけど。映画の補足になればと思います。

TEENGENEARATE interview
2013/12/19 at ぷあかう 

■まず再結成のライブに関して。チケットがすぐに売り切れましたよね。TEENGENERATEが待たれていた、という感覚はありますか?

FIFI 再結成的なものも海外ではあったから、正確には20年振りではないけど、また久々に観たいっなって思ってくれる昔から観てくれていた人もいるかもしれないし、まあ、実際には再結成というほどの大したバンドじゃなかったけどね。最近はデカく話が伝わった部分があるから。

■その空白の時間が伝説化を進めた?

FIFI まあ、そんな感じじゃない?昔のKilled By Deathの70sのバンド とかもそうなんだけど、シングル1枚しか出してなくて、1年も活動していないような バンドがさ、レコードもプレミアがついて、すごいバンドみたいに俺たちは思ってるわけで、本人 はやってたことさえも忘れているかもしれないんだけど、俺たちからしてみれば凄いっていう。

■じゃあ、TEENGENERATEもそういう凄い(と思われるような)も のを作ってきたという自負はあるのかな?

FINK (笑)それはさすがにない。
FIFI 自負とかじゃないよ、ただやりたいことやってただけだから。やりたいように。

■けっこう遠くから観に来た人もいるわけじゃないですか。外国から観 に来た人もいるし。

FIFI がっかりしないかなぁ、って心配したよ。俺たちも年老いたわけでさ、20年経って。
FINK よく言うよ(笑)俺はとにかく年老いたアニキ(Fifi)をカヴァーしなきゃって思ってさ (笑)老老介護だね。

■で、結果、再結成ライブはすごく盛り上がったわけで、それについてはどう思った?

FIFI よかったよ。楽しかったし。昔からの人はさ、もう最初からノる気満々で来てるから、それは判ったし。もうヤケクソみたいなさ(笑)もう演奏始まる前 から大騒ぎしてくれたしさ、そりゃもう演奏始まったら、よっぽどヘマしない限り、、、
FINK ま、約束されてる(笑)
FIFI 長丁場の最後だったから、みんな泥酔してるし(笑)、ま、よし、と。
FINK TEENGENERATEであんな長く演ったことないな。
FIFI まあ、ヨーロッパではあったけどね。ヨーロッパでは1時間ぜったい演んなきゃいけなかった。
FINK 契約だったから。
FIFI ヨーロッパで、1回30分で終わっちゃって、もう 1回演れって言われてもう1回演ったもん。ドイツかなんかで。
FINK 怒っちゃって。
FIFI プロモーターが。「契約違反だ」って。「もう曲ないんです」っ て言ったら、「もう1回同じの演れ」って(笑)。

■そんな契約結んでたんですか?

FINK 俺たちは知らないんだけど、会場が、ロックだけじゃなくていろいろなことやっているところで、ここはこういう条件の契約って感じだったから。

■再結成ライブのときは、当時あんまりやってなかったセットリストだったような気がするんだけど

FINK そうかな?”RIGHT NOW”かな?

■例えば”JOHNNY AND DEE DEE”とか

FINK “JOHNNY AND DEE DEE”はそうかもね、でもその2曲くらいじゃない?

■でも、セットリストを見たら、当時あんまりない観てない流れかな、 と思って。

FINK それは、前にニューヨークやオーストラリアとかで(再結成を)やって、そのときは、まだ名残というか、 TEENGENERATE解散から何年かしか離れていなかったから。だから、同じようなセットリストで。で、正直いうと俺たちも曲忘れてたから。20年も経ってたしね。今回はアニキ(FIFI)の指のこともあった(奇病で左手の指が動かない)から、何ができるのかな、って思って。考えたのは、あんまりギターの負担がない曲。あとは、、、アニキにいっぱい歌ってもらおうと思ったんだよね。でも、よく考えると、アニキの歌った曲って、オリジナルでは2曲くらい しかなくてあとカヴァーだから。けど、訊いたらあんまりカヴァーはやりたくないっていうから。だけどさ、アニキは指のことを言い訳がましいから言って欲しくないっていうけどさ、どう考えても弾けてないじゃん。

■この前、再結成でやってみて、今の自分から見て、TEENGENERATEの曲はどういうものだったのか?この前話したのは、改めてシンプルさの良さを再発見したというか。それでRAYDIOSの曲が複雑化していたのに気付いたというか、そんな話だったけど。

FINK 思ったのは、もともとTEENGENERATE始めた時はその前やっていたAMERICAN SOUL SPIDERS(ASS)の反省もあって全曲2分でやろうとしたんだけど、それでも初期の曲ってまだASSみたいな曲を引きずってたんだよね。で、最初の意気込みを出しているのは”Get Me Back”くらいで、とにかくシンプルにシンプルにってことを考えてて。で、TEENGENERATEやって、FIRESTARTERやって RAYDIOSやって、で、この前久しぶりにTEENGENERATEやってみて、 ふと気が付くとRAYDIOSって小難しいことやってんなぁー、ってすごく感じがして。で、いま反省して軌道修正中。だから、スペインのライブから帰ってきてからいっぱい曲ができてる。簡単な曲だからすぐできる。

■スペイン(2013年11月に再結成し出演)での反応っていうのはどうだったの?さっき話した日本の感じと一緒?

FINK 同じだよ。スペインは、もともとずーっと誘ってくれてたの。毎年何年も。だけど、再結成はやる気しなくてずっと断ってたんだけど、去年くらいからアサやん(Sammy)が、アニキがFIRESTARTERで新曲も作らないせいかなんか危機感を覚えてて(笑)、意外にもスペイン行こうよ行こうよ、って言い出したのはアサやんで、最後に一花咲かせようよ(笑)、って。アサやんも最後にハジけたいのかな、ってのもあって。アニキも不治の病でもう弾けなくなっていくのかな(笑)、とか思ったから最後にやるのもいいのかな、と。そこにこの20周年だから映画やろうというのもあって、今年、急にまわりが盛り上がってくれたから。まあ、スペインは大きなイベントだしもともとお客さんがいっぱい来るのはわかってたからね。けど行ってみたら、やっぱり、こう、ワーって感じで。会場がけっこう広いところで、ちょっと歩くとすぐにお客さんから「サインしてくれ」とか。20年振りだな、これって(笑)。まあいい思いはさせてもらった(笑)。
この20周年っていうのがなければ TEENGENERATEをやったかどうかわからないんだけど、そこに今回のCRYPTのやつ(2013年リリース。シアトルで録音しながら未発表音源)もあって。このリリースはずっと俺渋ってたんだけど、3、4年くらい前にベルリンに行ったときに、TIM WARREN (CRYPT RECORDSのオーナー)に久しぶりに会って、そしたら離婚してすごい貧乏してて。最近全然レーベルとしての新譜も出してなくて、で、何年も禁酒してたみたいなんだけど、それを破って酒を飲みたいというから(笑)一緒に飲んだら、「90年代が自分のピークだった」みたいなことを寂しそうに言ってて、なんだか可哀想になっちゃってさ。で、このTEENGENERATEの未発表のヤツも、昔はいいと思わなかったんだけど、今聴くといいじゃないか、って言ってて。俺、TIMのアパートで聴かせてもらったけど、やっぱりダメ(笑)、で、俺たちにリミックスさせてくれるなら考えるって言ってしまって。で、戻ってからやったんだけど、どうもしっくりいかなくて何年か放置していた。ま、当時良くなかったから”GET ACTION”を東京に帰って録音したんだから。しかもそのとき出来たての曲ばっかりだったんだよね。

■曲がこなれてない感があった。

FINK そうそう、ほんとシアトルに向かう飛行機やホテルの中でもズーッと曲を作ってて、次の展開どうしようか、って考えたり、歌詞をずっと書いてたりしてた。そもそもさ、そんなに曲をバンバン作れるバンドじゃなかったのに、当時は曲作ってはシングルばっかり出してたから、、、もうアルバムに入れられる曲がなくて。でもTIMは曲は少なくとも20曲は必要だって言ってきたりして(笑)、、、20曲いきなり出来ないからさ。アナルカントじゃないんだから、まあ、そういう感じ。
話が飛んじゃったけど、まあ、TIMも今はヨーロッパでCRYPTをやってるから、ちょうどスペインのライブに発売をあてたら、ちょっと売上げになったりして喜ぶかなと思って。

■スペインでの再結成のタイミングでのリリースは狙ってたの?

FINK狙ってたというか、たまたまだけど、タイミングがいいかな、と思って。全部一緒にしちゃったほうがいいかなって。俺6月くらいにリミックスやったんだけど、もうスペインと映画は決まってたから、慌ててね。このタイミングくらいしかもう出すこともないだろうなって思ってもう一気にやった。TIMも喜ぶかもしれないって思って。で、いろいろ試してやったら、まあ聴けるかなぁ、っていうレベルにはなって。でもね。TIMは全曲出したいって言ったんだけど、やっぱり捨てる曲は何曲かあった。これはちょっと、っていうのは。

■スペインに出てた、いわゆる今のガレージ・バンドはどういう感じだったの?

FIFI 観れなかったんだけど、FLAT DUO JETSの人出てたよ

■おー、そうなの!

FINK 昔観たことあったけど。もうおっさんになってたけど。

■なんでそういう質問したかというと、当時は各国のバンドが同時多発的に盛り上がってたというのがあったから、それが今はどうなってるのかな、って。

FINK 俺たちが TEENGENERATEやってる時代に、当時はちょうどガレージが盛んだったよね。昔の(60s/70s)ガレージ・バンドとやったりね。だから、(今は)ルーツがちょっとだけ違う感じ?90年代の頭のころはサーフィン・バンドとか多くて俺たちもずいぶんそういうバンドと一緒にライブやったけど、かたやQUESTION MARK& THE MYSTERIANSとかさ、MUSIC MACHINEみたいなオルガンのコテコテのがあったり、FUZZTONESとかCRAMPSみたいな流れとかもあったり、90年代の頭あたりはいろんなのがグチャグチャだったから。俺が大好きなフラットなロックンロールみたいなのとかレイヴ・アップみたいなのもちゃんとあったし、だから、あまりまとまってない感じはあったけど、だけど、そういうの含めてガレージがそのまま人気だったんだよ。
だけどさ、95年以降?はガレージがもっと世界的に認知されていったのは知っているんだけど、俺はあまり詳しくはなくて。だから、俺たちが知っているのとまた違うんだよ。で、今回はTEENGENERATEを後から聴いてくれた世代と一緒にやったから、だから、、、出演バンドもみんな
(俺たちに)「サインくれ」みたいな感じで(笑)。全然毛色が違う感じのスーツを着ている若いバンドも俺に親切にビール買って来てくれたり(笑)、俺達は歳も上だから、もう全然別というか、息子って感じ。
それと、昔TEENGENERATEやってたときは、アメリカとかツアーしてると、時々どっちがトリをとるみたいな話があって、俺たちは全然こだわりないです、どうぞどうぞって言うんだけど、たとえばMAN OR ASTRO MAN?とかROCKET FROM THE CRYPTとかはそういうのにけっこうこだわってたよね。プロ意識が強いんだと思うけど。でも今のバンドとかはそういうのはあんまりない感じはした。あと、JON SPENCERやOBLIVIANSの影響って若いバンドには凄く大きいんだよね。なんか基本的にブルースが当たり前みたいな感じになってるし、多分、それをRAWなサウンドでやるっていうのがアメリカでもヨーロッパでも90年代半ばくらいからスタンダードになっていて、今でもアンダーグラウンドの中に残ってるような気がする。既に文化というか。だから昔は80年代のガレージって、もっと、なんか大量にリバーブ使っちゃったり愕然とするプロデュースが多かったけど、それをまたさ、90年代にちゃんとしたサウンドに戻してさ。でもそういうのがなかったら、今の若いバンドはロックンロールは魅力を感じなかったのかもね。

■はい、では再結成の話はそのくらいにして、映画についてですけど、いろんな人がTEENGENERATEに対して様々な捉え方をしていたと思うんだよね。自分はこんな見方をされていたんだ、というような感想はあった?

FINK まあ、TEENGENERATEの映画だから、コメントくれる人も悪いことは言わないし守られているよね(笑)。当時はもっと違う見方していた人たちもいただろうし、当時は必ずしもみんなから歓迎されていなかったと思うから。初対面でもおまえら嫌いと言われたこともずいぶんあったし(笑)。でもそれはそうだろうな、って当時納得していたとこもあって。もともと、俺たちって静岡の田舎者だから、東京に行けばイギリスみたいなカッコいい音楽やバンドがたくさんあるんだろうな!って、東京行く度にワクワクしてたけど、80年代初頭から上京後もライブハウスやレコード屋とかにもかなり足しげく通ったんだけどどうもほとんど出会えなくて。で、段々音楽については俺はアニキとしか話ができなくなっていって、しまいにゃ、もう「日本はダメだ。もうニューヨークかパリに脱出するしかない」って、完全に頭のおかしいやつになっていってたから(笑)。だからTEENGENERATEになって音楽が好きな人たちがライブに集まってきて、あのレコードいいよね!とか、夢中になって音楽のことを話ができるお客さんとかが増えて急に人生が楽しくなった感じ。だからもうアニキと話す必要がなくなった(笑)。ただそれも、段々、もともとはロカビリー聴いてたんですけどー、今はパンクロックの方が好きです、とかエクスキューズしてくる人が増えてきて。そんなの全然構わんよ、俺たちもそういうのかなり好きだから、って。そんな、なんか俺たちがパンクロックの先生かなんかで、B級パンクを聴いていないヤツとは口きかないみたいに思われてるな(笑)、って感じることが多くなってきたよね。特にCHROLOFORM以降はファッションまで最初期のパンクロックにコミットしないとコミュニティに入れない的なイメージもあったと思うし、純粋に自由に音楽だけを楽しんでくれてたお客さんは居心地が悪くて多分離れていくだろうなって。あの昔ながらのライブハウスの雰囲気とか喧嘩とか上下関係とかがどうも馴染めない、ただ音楽が好きで集まっていた人たちが俺たちを支えてくれていたのにね。また80年代に逆戻りかとほほ、みたいなね(笑)。俺自身もそういうのが嫌で嫌で、音楽だけやりたくて海外逃亡したのに、気が付いたら自分が近寄りがたい親玉みたいに思われていると思ったら、本当に恥ずかしくなっちゃって。もうバンド辞めちゃいたいな、って。自分達で音楽をやりたいようにやっていただけなんだけど、もうバンドとしては寿命を迎えていたんだろうね。そんな感じだったから、TEENGENERATEをどう感じたかって、その人の当時の立場とかによってかなり違いはあると思うよ。オタクだとか(笑)、生き方がパンクじゃねえとか(笑)、死ねバカとか(笑)。そういう風にもかなり見られていたはずだし、俺もそう思うもん(笑)。でも今回コメントしてくれた人たちは、それだけで本当にありがたいと思ってます。サンキュー!

■それと関連するんだけど、東京の90年代っていうのは自分にとってどうだった?今は情報がいっぱいあるけど、、、

FINK 80年代後半あたりから急激に変わっていったな、っていうのはあって、俺は切掛けはグランジだったと思う。間違いなく。それまでイギリスのハードコアとかしか載せていなかったパンク系の雑誌も、今まで言わなかったけど、実はGERMSがずっと一番好きでした。テヘヘ、って感じになって(笑)。今では想像もつかないと思うけど、80年代はRAMONESさえ完全にメディアから無視されていたのに、ジャーン。やっぱどう考えても RAMONESしかない、アメリカ最高!ってなった(笑)。それがいいか悪いかじゃなくて、とにかくその当時は雑誌くらいしか情報ないから、その一言の影響で、ある日突然、日本では主流がUKパンクやUKロックとかからアメリカの方にさっとシフトして、長髪が増えて革ジャンが大量に古着屋に売られたと思うよ。
もともと日本は独特だと思うんだけど、日本でパンクロックが紹介された時は専らニューヨークでしょ。知的でアートじゃよ、みたいな。で、イギリスでもピストルズは、あれだけ音楽が素晴らしくてもメンバーが引き起こした事件を笑い話としてしか取り上げられないような、低能扱いで。「MISHIMA」とか言って、知性のアピールがないとまともに紹介してもらえてなかったでしょ。日本では紹介の仕方が音楽ではないからいびつなんだけど、当時は情報も雑誌かラジオしかなかったしね。そこで紹介する側のサジ加減で読んでる側は右往左往するしかないしそれしかないって思っちゃうよね。80年代になって、当時のメディアがちゃんと取材もせずアメリカはなーんにもないよ、今はイギリスのキングスロードがギンギンだよって言うと、過激好きな若者はウォーッ!て全員そっちにいっちゃうわけだから。あの頃は、パンクロックのような素晴らしい音楽性は完全に無視だったし、生き方や過激さだけに紙面が割かれていたから、俺もそうだけど、逆にどーも聴く気になれなくなった人も多かったと思うよ。日本だけでなく当時はアメリカでも全国的にはそういう扱いだったと思うけど、アメリカはちゃんとローカルで支えるシーンがあるから日本みたいに雑誌が方向を示すとすべてが一斉にそっちを向くことはなかったのかもね。で、90年代に入るとそういうのローカルシーンでずっと頑張っていたバンド達にようやくスポットが当たるようになって日本でもグランジを切掛けに影響が広まったという実感があった。だから、90年代になって環境はかなり良くなってきたと思う。90年代は80年代の古いものが一掃されちゃったから。バンド・ブームの人たちも急に無くなっちゃった。で、もともとハードコアとかでも地道にやってた人たちが急にスポットライトを浴びるようになったというか。あんまりメジャーっ気がないっていうか。ほんとに、こう、そのあと結果的にメジャーに行く人はいるんだろうけど、もともとやってた人がスポットライトを浴びただけだから、環境としてはやりやすかった。

■さっきも少し出てきたけど、その中で、自分たちがやってたら自然と仲間が集まってきたような感覚はあったのかな?

FINKもともと、東京に出てきたときに、東京はみんな凄い音楽ばっかり聴いていて、ライブとかも凄いんだろうな、って憧れがあって。でも実際にはほとんど無くて。その80年代にアニキなんかと言ってたのは、でも絶対にちゃんとしたロックンロールを好きなヤツっているはずだけど、点在しちゃっている。そういう人たちを集めたいって言ってたんだけど、あの頃は集める術がなかった。まあ、ASSあたりから関口くんとか、マガリとか、飯嶋くんとかそういう人たちと出会うことができて、やっとライブの打ち上げなんかで音楽の話が出来るようになったというか。それ以前はそんなに夢中になっている音楽やバンドの話を打ち上げでできる知り合いがいなかったよ。だから、そういう、お客さんと友達になって音楽の話をできるのは本当に楽しかった。まあ、いつも観に来てくれたし、段々と輪が拡がっていったんじゃないかな。あいつらが呼んでくれて、尾崎とかさ、中上くんもそうだけど。あ、やっぱりちゃんと音楽を好きなヤツらいたんじゃん、って感じ。

■さっきの話と繋がるけど、東京に出て来たときにいわゆるロックンロールっていうのは無かった、という感覚だったのかな?

FINK それ、俺に言わせたいの?(笑)あの、最近は映画や再結成ライブがきっかけで急にインタビューをたくさんしてもらえるようになったんだけど、、そこで、なんかね、そこを強調されるのがツラいな(笑)。

■何もなかったところに作ったってことを?

FINK え?違う違う。そうじゃなくて、「ロックンロール」って言われるの。なんか気恥ずかしいというか。「ロケンロール」とかになると悲しい。別の意味で(笑)。

■じゃ、話題変えて、遡った話だけど、自分の静岡での環境っていうのが、今の自分に影響したものって大きい?

FINK それは映画にも出てくるけど、塾の先生とか。あとまあ、、、簡単に言っちゃえば俺のアニキだよ。何も無かったもん、田舎だし。俺が中学生のとき、一般的に「ロックンロール」と言われてたのは銀蝿とかだから。俺は銀蝿の音楽はむしろ好きだけど、ただ、キャロルとかも含めたファッションとして80年くらいの日本ではリーゼントしてないと「ロックンロール」ではないと決まってて、じゃあ、STONESとかBEATLESは違うの?って。だから、日本の「ロックンロール」ってジャンルの壁をかんじちゃって。特に田舎だとさ、ヤンキーを志すなら「ロックンロール」とアイドルをマスターしろ、って決まってたから。俺、中学からバンドやってたんだけど、クラスのやつにロックンロールやろうっていうとさ、えーっ?それだけは勘弁して、恥ずかしいよ、、って感じだったし。昔はね。そういう意味じゃ、まだロックンロールは生き残ってるのかな。まあ、そういうことだよ。今なら七三分けのヤツもロックンロールが好きですとか臆面もなく言うしね。昔はすべてがすべてがすべてこんな感じだったんだよね。

■映画観て、自分で一番印象に残ったところって何?

FINK エンディングで親父とかお袋が出て来たところ(笑)。お袋は、宝塚とかに憧れて、バレエとかやって一生懸命目指してたみたい。清水で、石原裕次郎が主演の映画があって、お袋は地元のエキストラにスカウトされて出たんだって。しかもそのとき、裕次郎がウチに泊まったの。お袋が、「この布団で寝てた」って教えてくれたもん。あ、泊まったんじゃなくて休憩かな。だから、そういう意味だと、お袋が何十年か経て再び銀幕にでることになって良かったな、と。

■90年代の話だけど、海外のバンドと同時進行的なウネりみたいなものがあったと思うんだけど、その興奮みたいなのは感じてたのかな?僕なんかは、実際ツアーしたわけじゃないから、レコードでしか想像できないけど、同時進行で、なんか起こってるな、みたいな勢いっていうか興奮があったんだよね。

FINK 勢いっていうか、急に身近になったんだよね。ASSをSYMPATHY FOR THE RECORDINDUSTRY(SYMPATHY)から出してもらったときは、まあ、ただ単に嬉しいってだけで。俺もアニキもSYMPATHYから出していたバンドのシングルをいっぱい持ってたからさ、えっ、こんなお近づきになれるの?こんな俺たちでいいの?みたいな感じで。でもASSの頃は、まだ日本のバンドなんかは本当の意味で中には入れない。でもTEENGENERATEになると向こうからこっちに来てくれるようになって。実際にはASSの頃から、少ないながらもDEVIL DOGSとかRAUNCH HANDSとかとはそういう関係が作れていた。で、ちょっと後にNEW BOMB TURKS(NBT)とかSUPERCHARGERとかがあって。まあ、もともとロックンロールやガレージパンクにきちんと理解のある人たちが始めたパンクロックだし、俺たちのやっている音楽も近いって感じた。それまではそういう音楽ってバラバラにはあったけど、90年代に入ると急に集まって固まった感じ。あの頃、MUMMIESとかがいたサンフランシスコのベイエリアって、シアトル並に盛り上がっていて、まあ、運が良かったんだよ。ASSくらいからああいう人たちとあのタイミングで全員友だちになれたっていうのは。

■最初にDEVIL DOGSと仲良くなって広がったのかな?

FINK ええとね、DEVIL DOGSより前に、90年くらいにバーンホームズがRAUNCH HANDSを来日させて当時ASSで競演させてもらったんだけど、その時TIMが同行してて知り合いになって。TIMはその時花園神社で大量に日本の古い映画ポスターを買って、それがその後”GET ACTION”のジャケにも使われてるんだと思うよ。ASSで初めてニューヨークに行ったとき、バーンホームズの人からSTEVE BAISEの連絡先を聞いていて、一緒に酒飲んだのがDEVIL DOGSとは初めて。滞在中にDEVIL DOGSをコンチネンタルで観れたんだけどとんでもなく凄かったな。それまでの人生で一番興奮した。

■例えばSTEVE (BORCHARDT)とかもだけど、当時子供だったひとたちに多少なりとも影響があったっていうことについてはどう思う?

FINKまあ、確かに年齢のこと考えるとそうなのかな、とも思うけど。TEENGENERATE解散後の90年代後半くらいからガレージとかが段々一般的になったっていうのは聞いてるけどね。やってる当時はそんな、人に影響を与えるとか全然思ってないし、無我夢中でやっていただけだから。それよりもさっきの話と重なるかもしれないけど、俺たちがやったことっていうのは、結局NBTとかDEVIL DOGSとかRIP OFFSと同じで、ガレージ好きの人が辿り着いたパンクロック?、といか、初期のまだロックンロールだった頃のパンクロック。もともとはパンクロックが起きたときはそういう感覚だったと思うんだけど。80年代は完全に別物になってたよね、パンクは髪立てて、金貯めて革ジャン着て、とか。ロカビリーはリーゼントして刺青入れて古いアメ車をローンで買って、とか。レコードも買ってほしいけど(笑)。で、まあ、あの全部一緒って感じになっていったのがちょうどあのTEENGENERATEやってた時代なのかも。だからそれから何年か経って、STEVEが子供の頃にはガレージバンドがテレビとかでも観れるようになって、掘り下げたら俺たちの音楽を聴く機会があったという感じなんだろうね。既にインターネットもあったんだろうし。

■さっきのスペインの話でも出たけど、今のバンドたちにも影響があったと思う?

FINK 影響があったというよりも、もうそういうのがあってから後の世代だから、抵抗がなかったんだと思うよ。ガレージのヤツでもKILLED BY DEATHみたいなパンクロックは当然のようにちゃんと聴いてるしね、今は。

■さっきの話とも被るんだけど、今って情報ありきじゃない

FINK まあ、インターネットだからね。

■それでホントはロックの面白さって、良い意味で勘違いしていくっていうのがあったと思うんだよね、それで地方色が出たりとか。それでシーンができたりとか。TEENGENERATEが活動してた時期はそれが まだ残ってたという感じがするんだよね

FINK ローカル?

■ローカルもそうなんだけど、ネットやってないからレコード屋行くとかライブ行くとかそういうところで情報が得られたときがあったけど、今はYouTubeで下調べしてから損しないようなライブに行くみたいな。だから驚きも少ないっていうか

FINKまあ、でも世の中の流れとしてしょうがないよね。基本的に、DJもそうで、バンドのライブよりもDJの方が客が入るっていうのも、この時代の流れでしょうがないなって思う。俺の高校時代って、男の1番のプライオリティって音楽。で、ちょうどバブルの頃にちょうどそういう統計があって、世界の国別に、その国の人はどういうプライオリティがあるかっていう。アメリカとかは1番関心があるのが音楽とか仕事のような感じだったと思うけど、日本ってセックスだったんだよね。セックスは俺も好きだけど。音楽はもうあの頃から優先度が低くなってた。で、90年代になるとファッションになるんだよ、男の 1番好きなことって。だから、時代の流れっていうのは、いくら俺たちがキャンキャン言ってもしょうがないんだよ、BEATLESくらいの影響力がないと。で、さらにインターネットの時代になって、失敗しないでいいとこ取りができる時代にもなったから、わざわざ音楽に金をかけるのもよっぽどの変わり者かおっさんだけになってるよね。でも、じゃあ、みんな音楽を聴かなくなるようになんのか?といえば、俺はそれはないと思う。また振り返しはあるのかと思う。TIMも言ってたけど、やっぱりヨーロッパではまだCD売れてるけど、アメリカは何故かまったく売れてないって。アナログが売れてるらしい。買うのは若いやつだろうから、違法サイトでダウンロードすればタダなのに、買うやつがいるのは、まあちょっとうれしいことだよね。

■FINKはTEENGENERATEから、ほぼ休みなく曲は作り続けて いるよね。

FINK FIRESTARTERのときはサボったけどね

■それで、僕は全部好きなんだけど、FINKのやってきた中で、 TEENGENERATEの曲っていうのは、突出して語られることが多いじゃな い?RAYDIOSやFIRESTARTERの方が進化していると思うんだけど、、、

FINK 世の中?的にはTEENGENERATEはまだましで、かなり下がってFIRESTARTER、もはやRAYDIOSになると誰も知らないし(笑)。まあ若くもないし(笑)、さすがに評価して欲しいなんて考えてないよ。いろんなバンドやったけど、結局自分の音楽をやるだけだから。最近、HEAVY SICKとかUFOでしかできないけど、たぶん来年になったらペンギンハウスにも断られるかもしれないけど(笑)。あんまりね、それは、、、しょうがねぇな、って。

■まあ、TEENGENERATEも自分がやったことではあるからね

FINK そう、TEENGENERATEは海外から出してたから。当時は俺たち自身も海外のレーベルから毎週のように届くいろんなバンドのシングルに夢中になって買ってたけど、同じように俺たちのレコードを買ってくれていた人たちがたくさんいたんだね、きっと。そういう時代だったから。外国のバンドしか買わないような人たちも興味持ってくれたし。でも、それも偶然だよね。だって、今、俺が若くて同じようにTEENGENERATEをやりだしたとしてもハァ?って感じだったと思うよ。埋もれちゃうっていうか。だからあれは本当のハプニングだったんだよ。たまたまそういうことが起きる時代で。バンドの実力からいうと分不相応なくらいラッキーだったけよね。でも、あのときTEENGENERATEで来てくれたお客さんがいるから、今、RAYDIOSやっていて、お客さんはメチャクチャ少ないけど、そういう流れで来てくれるお客さんがいまだにいてね。それはもし、当時まったく無視されていたんだったら、、、

■それさえもない、と。

FINK そう。

■じゃ、最後。この映画をどんな人に観てもらいたい?

FINK どっちかっていうと、あんまり観てもらいたくないけどね(笑)。うーん、とにかく、やっぱり、バンドやってればどうにかなるんだよ、っていうか。俺たちのように、別 に上手くなくても才能がなくてもやってみたらいいっていうか。えーと、まあ、自分なりにもっといいものを作ろうって思って続けてれば、バンドでも絵でも、何でも、一生懸命やってれば少なくとも楽しいし、時々ちょっとは報われたり、幸せなこともあるんだな、って(笑)。だから、どうせ映画観てくれる人っていうのは、俺たちのバンドを知ってる本当に極々一部の人だけじゃん。だけど、そういう人たちが、音楽とかぜんぜん関係ない友だちとか、音楽を聴いたことの無い姪とか、いとことか連れてきてくれたりして、バンドとか下地がなくても、下手糞なおっさんたちでもこうして映画になるんなら、ちょっとこう、ギターでも弾いてみようかな、とかそういう感じになったらなと(笑)。ま、それだけだよ。そんな準備とかは面倒だから要らないよ、って。

■いま、情報過多だからさ、バンドやっても、まだ人前に出せるものではないとかいう状態のままの人もいると思うんだよね

FINK構えちゃって?熟成しないと出せないみたいな?

■だから、みっともなくてもいいからやってみなよ、っていうか

FINK うーん、カヴァーでもぜーんぜん構わないと思うよ。少なくとも、カヴァーでも自分がやってるってことは、他の人が作った曲のレコード掛けてるだけよりはちょっぴりマシな感じもするし。いや、DJでもいいし(笑)。まだ若いコがさ、DJ聴きに来るっていうのはさ、まだ音楽で人が集まるっていうのは希望というかうれしいよね。世の中的にはプライオリティ100位くらいに落ちちゃっているんだろうから。韓流ドラマの次ぐらいに。
ただ折角なら、いつかはカヴァーやDJでなくて、自分でバンドとか作って自分が聴きたくなるような曲作っちゃったりできるといいよね。音楽がメチャメチャ好き過ぎて、自分でもやってみたいって気持ちになるのは当然だし、さらに続けていけば、自分が聴いているのよりも良い曲を作ってみたいっていう欲も出るのが普通。まあ、自分が聴いているのよりもいい音楽なんてほとんどできないんだけど、でもそれをみんながトライし続けないと、なんというか、すべて終わっちゃうように思えるんだよ、、音楽の順位がさらに500位に転落、みたいな。ときどき、酒飲んでるとライターみたいに持論を通すおっさんがいて、BEATLESですべて終わっちゃったんだけど、まあバンドをやるのは君の自由だからさ、権利だから(笑)って感じのイライラするのもいるけどそれは置いといて、バンドやっている側も、RAMONESよりいい曲なんか作れないよ、って最初から降参してちゃダメだとは思うけど、でもまあ、最初はパクリというか、何かと同じになっちゃうのももうこの際よしとして。きっかけはカヴァーでもなんでもいいし、ちょっとだけ何かに似てしまったとかでもいいから、、だから、日本の音楽が、、、嫌いじゃないよ(笑)。でも最初は許すけど途中からは恥ずかしいからそういうのは止めて、いつかはRAMONESにも褒められるような一曲ができるようになればいいんじゃないかなー、っと(笑)。その意気込みだけでも。まあ、偉そうなこと言っている俺こそがクソのような曲しか作ってないけど(笑)。
Get Action!!のパンフ2
Get Action! パンフより
Teengenerateについて (一部加筆・修正)

 TEENGENERATEとはどんなバンドだったのか?それはこの映画をみてもらえればだいたい解ると思いますが、あくまでも映画の補足として個人的に見聞きしてきたことを書いてみたいと思う。
 海外でツアーしたり、レコードをリリースしたりした日本のパンク・バンドは彼らが初めてじゃないし、それこそ沢山いるわけだが、なぜTEENGENERATEがここまで特別な存在になったのか?ロックンロールやパンクを鋭い視点で解釈した彼ら自身の音楽性はもちろんだが、DIYなインディーの繋がりが日本から海外へ拡がり始めた時期であったり、そこで出すバンドを探していた新進レーベルが多くあり、バンドどうしの繋がり、友人たちとの出会いなど、時代とタイミングが上手く合わさったのだと思う。その様子は映画の中の多数の証言によって浮き彫りになっている。

 FifiとFinkの兄弟が東京でバンドをやり始めるのが80年代半ば。東京に出てくれば自分たちの思うロックをやっている人がたくさんいるのではないか?と思っていたが、実はそんなことは無かったし、居たとしても知る手段がほとんどなかった。前身となるAMERICAN SOUL SPIDERSを結成するのが1987年ごろ。バンド名はFLAMIN’GROOVIESの曲名からとられた。1+2より出したEPがライターの関口弘を介して西海岸のレーベルSYMPATHY FOR THE RECORD INDUSTRYに渡り、ライセンス・リリースが決定した。単純にいままで聴いてきて好きなのが欧米のロック、パンクであり、東京のライブハウスのシステムにも違和感を感じていたバンドとしては、嬉しい出来事であった。ではアメリカからレコードが出たからに行ってみるべきだろう、と、なんのあてもないがアメリカ行きを決行する。このときはFifi, Fink, Sammyの3人で、楽器を持って行ったものの、バンド活動というよりは、ライブを観たり、レコードを買ったりということで終わったようだ。その後、ANYWAY ANYGIRL””LAZY COWGIRLS”などの新たなレコード・リリースと前後してバンドとして再度アメリカに行くことに。このときにかなりの好評を得て、アメリカでの活動の基盤ができたと言えるだろう。ちなみに、このとき同行したSUPERSNAZZがSUB POPの目に留まり、後のアルバム・リリースへと繋がる。このツアーの様子が関口弘によりDOLLでレポートされたり、またAMERICAN SOUL SPIDERSがJEFF DAHLのバックをつとめたり、と新しいことが起きつつあった。

 AMERICAN SOUL SPIDERSの音楽性は少しダークでハードなロックンロールであった。アメリカツアーは好評だったが、ヴォーカルのDEZAKIがニューヨークに残るということを言い出し、バンドは自然と活動停止となった。その後、SUCKも抜けるが、BOYの別宮エリカの仲介で、HERESYのレーベルIN YOUR FACEからオファーがあり、FINK, FIFI, SAMMYにヘルプのドラムを加え”MAXIMUM OVERDERIVE”を録音する。これがリリースされる91年ごろにはもうバンドはほぼ存在していなかった。
DEVIL DOGS等との共演を体験したりしていくうちに、Finkは音楽をもっとシンプルで明快なロックンロールに寄せるべきだと考えた。そうして、なんとなく解散状態だったAMERICAN SOUL SPIDERSのDEZAKIを除いたメンバーが結果的に集まり改めて始めたバンドがTEENGENERATEである。これが1993年のこと。バンド名はTHE DICTATORSの曲名からとられた。

最初のライブは1993年2月21日の新宿ジャム、シーンもなにも感じさせないライブハウス側ブッキングのライブだった。しかしながら、ちょうど来日中であり交流のあったYOUNG FRESH FELLOWSのメンバーなどが観に来ていた。その次のライブがMANGROVE LABELの企画になる。MANGROVE LABELの最初のリリースであるDEAD BOYSのカヴァー集にはAMERICAN SOUL SPIDERSも収録されており、TEENGENERATEとはその後も強い関係性を持つ。
その年の5月、Finkの大学の友人であった蕨が立ち上げたWALLABIES RECORDSより1stEP”GET ME BACK”をリリース、それを持って、ガレージの大イベント、ガレージ・ショックへの出演を起点としたUSツアーに出る。このガレージ・ショックへの出演が好評を博し、その場で様々なレーベルからのオファーを受けることにもなるのだった。その流れで、YOUNG FLESH FELLOWSのJIMのセッティングにより1stアルバムとなる”AUDIO RECORDING”が録音された。ほとんどがカヴァーではあるが、こういったカヴァーの選曲、解釈がTEENGEENRATEの特徴であり、魅力の一つだと言える。ネット時代の今とは違い、当時はTEENGENERATEのカヴァーを通じて色んな曲を知ったというキッズも多い。今では当たり前の感もあるレア・パンクでも、当時は彼らがカヴァーを通じて広く紹介したということだ。この映画ではオリジナル曲中心に組み立てられているが、カヴァーを多く含むのが彼ら本来のやり方で、オリジナル中心のライブをやるようになるのは、アルバム”SAVAGE”をリリースしてから最後の方までだった。

アメリカツアー中に色々な意見の違いがあったのだろう、帰国とともにドラムのSuckが脱退してしまい、バンドは新メンバーを探すが、Sammyの野球仲間であったShoeがメンバーにとなる。ここからがTEENGENERATEの本当の快進撃になる。このShoeの、シンプルだけどスピード感とパワーに溢れたドラム(それしかできなかった、とも言えるが)がTEENGENERATEそのものの90年代的な、たとえばNEW BOMB TURKSの持っていたようなスピード感と符合していく。あとから振り返ればこのようなスピード感は90年代特有のものだというのは明らかなんだけど、そのときは周り全体がそのような感じになっていったので深く考えもしなかったし、ただただその音楽で興奮していた。
当時のガレージシーンというのはなかなかに幅広いもので、50s、60sタイプのものからサーフ、パンクロック、パワーポップ、またはスカムロック的なものまで一緒にガレージと呼ばれていたし、そういった中でTEENGENERATEはガレージとしてもパンクロックとしてもハードコアとしても、どこにも属さないようであり、逆に言えばどこにでも接点を持てるような音楽だったと言える。なんでもありなのだが、あえて、90年代ガレージの本質を一言で言うならRAWというになろう。日本では関口弘がDOLLのレビューなどで使い始めた言葉で、最初は説明のためもありRAW(生硬な)というような表現だったように思う。もうひとつの形容としてはロウ・ファイ(Lo-Fi)というのがある(注:同時期にあった、インディロックのロウファイ・ムーヴメントとは異なる)。生々しく粗い感覚、というのが一つの大きな流れであった。TEENGENERATEはまさにその両方であり、90年代ガレージそのものだと言える存在となった。90年代ガレージの流れに関してはNEW BOMB TURKSのERIC DAVIDSONがWE NEVER LEARN”という本にまとめていて、機会があれば一読をおすすめするが、その本でもTEENGENERATEに関して1章が割かれている。

東京のライブシーンに違和感を覚えていた彼らだったが、AMERICAN SOUL SPIDERSの途中あたりから理解者と言えるような人たちがだんだんと現われてきた。関口弘、MANGROVE LABELの飯嶋とその友人小林など。Daddy –O-Novを中心として形になってきた東京のガレージ・イベントであるBACK FROM THEGRAVE。ここにはギターウルフ、the 5,6,7,8’s、Jackie & The Cedrics、TEXACO LEATHERMANなどが集まってきていた。TEENGENERATEになるとさらにSAMANTHA’S FAVOURITEを媒介としてのSLIMEFISHERなど初期SNUFFYなどメロディック・ハードコアの面々やのちのK.O.G.A.周辺なども関わるようになってくる。僕もこの頃に彼らと知り合った。誰が中心というわけでもなく、だんだんと仲間が集まってきて、ゴチャゴチャしているものの、なんとなくシーンのようなものができていっているのが感じられた。それまでの日本のパンクやインディーシーンとは明らかに違う感じ、海外のパンクを意識しているが、それが単に輸入文化っていうのではなく、お互いに注目し、同時代的に進んでいる感じがそこにはあった。後にひとつの大きな流れを作るバンド、REGISTRATORSともこの前後に出会っていて、パンクロックの解釈でお互いに影響されていく存在となる。
また、以前からライブハウスがリスクを負わずバンドにノルマを課す日本独特のシステムにも違和感を覚えていた彼らだったが、たまたま飲み屋で知り合った下北沢シェルターの店長、平野が理解を示し、ノルマなしのライブをやるようになる。そうして、シェルターは東京でのTEENGENERATEの拠点となっていき、さらにはガレージバンドたちの拠点の一つともなっていく。

94年に入ると、前年にオファーを受けていたレコードが続々とリリースされるようになる。“AUDIO RECORDING”を筆頭に彼らのニューシングルが毎月のように輸入盤店に並ぶこととなり、我々もチェックを欠かさないようにしていた。いま振り返ってみると、当時の旬なガレージレーベルはほぼ網羅していたのではないだろうか?ESTRUS、SYMPATHY FOR THE RECORD INDUSTRY、DYONYSUS、CRYPT、AU-GO-GO、DOG MEATなどなど。そうして、TEENGENERATEの知名度はどんどん上がってきていた。輸入盤のガレージパンクを掘っていた人たちも、日本にもこんなバンドが居たんだ!という驚きを持ってライブに来るようになる。別の視点で言うと、彼らのレコードは輸入盤のアナログを扱う店にしか置いてなかった。日本でのリリースはWALLABIESのみであったし、そのころの日本のメジャー・シーンではCD化がどんどん進んでいて、大手チェーンではアナログはどんどん排除されていった時期だった。大手の店に彼らのCDが並ぶのは”GET ACTION”以降のことだったと思う。そういうことも日本での彼ら一般的の知名度の低さの原因かもしれない。結果、まだまだこの動きは東京の一部で知られているような感じであった。この頃、新宿のRED CLOTH(今と違う場所にあった)で関口弘のDJ+ライブのイベントが月2回あり、僕も毎回DJとして参加していた。そこには少数ながらこの動きを察知していた連中が集まっていた。

僕はTEENGENERATEや周辺のバンドたちが生み出す音楽やライブの雰囲気にあてられて、ライブに通ったり、写真を撮ったり、文章を書いたりというようなことを積極的にやるようになっていた。それは僕の日常になり、それが高じてレーベルを始めたりもするのだが、、、とにかく、自分もなにかやるべきだ、みたいな感じの熱が止まらない感じだった。ライブの後の打ち上げや、ときどきは普段の日に会ったりして酒を飲みながらFinkやFifiから海外のツアーの様子を聞いたり、レコードの話をしたりするのが大好きだった。彼らは音楽家以前に偉大なる音楽ファンであり、その視点や知識はいつでも刺激的だったし、周りの人も随分影響を受けたのではないかと思う。その習慣は、ぷあかうというFifiの店で、少し形を変えながらも続いているのだが、、、。

1994年の5月になると、またガレージ・ショックなどを起点として1か月半、16箇所のUSツアーに出る。パンク雑誌Maximum Rock’n’Roll がハードコアからガレージパンクを中心に取り上げるようになってきていたりというような時代の流れもあるが、このツアーになると、日本ではメディアがほとんど取り上げることのないTEENGENERATEはアメリカでは大きな存在になってきていた。
帰国後もライブは続くが、大きなトピックとしては、8月にTHE RIP OFFSの来日があった。向こうで対バンをしたバンドを呼ぶ、という流れではあるが、プロモーターを通さずに安いチケット代で行うという、これもまた彼らが最初にやったわけではないが、この頃から徐々に拡がったやり方だった。同じく海外でたくさんライブをやってリリースもあったギターウルフ、SUPERSNAZZ、REGISTRATORSなどが塊となってライブをやる姿は、ああ、なんか凄いことになってきているんだな、ということを感じさせるには充分であった。また、この時期と前後して、10”アルバム“SAVAGE”がリリースされる。JACKIE & THE CEDRICSのメンバーでもあるRockin’Jelly Beanがジャケット画を手掛けたこのアルバムは、成り行きでいきなり録音した“AUDIO RECORDING”に対して、能動的にアルバムとして作ったもので、Finkの中ではこちらが1stだという認識のようだ。”MY GTO”はTHE DEVIL DOGSのAndy作で、ライブの定番曲となっていった。

1994年の10月になると、こんどはヨーロッパへの長期ツアーに出る。前半はGAUNT, NEW BOMB TURKS、後半はNEW BOMB TURKSと一緒で、年末まで2か月43箇所に渡るツアーであった。このツアーによって、彼らの人気はアメリカのみならず、ヨーロッパへも拡大していくことになる。そして、ツアー中にCRYPTからリリースされたのが、彼らを象徴するアルバムとなった”GET ACTION!”である。このアルバムは一度シアトルのエッグ・スタジオにて録音されたが、ハイファイすぎるゆえ、レーベルオーナーのTim Warrenが「これはTEENGENERATEではない」と却下して、結局バンド自身で録りなおしたものだ(その時没になったエッグ・スタジオ版のものは2013年になってミックスし直して”GET MORE ACTION”としてリリース)。
そうやってTEENGENERATEらしいアルバムとしてリリースされた”GET ACTION!”はNEW BOMB TURKSの”DESTROY OH BOY!”とともにガレージの枠を超えて広く聴かれるようになり、とくにアメリカではCMJチャートに入るなど人気のアルバムとなる。実際、相当な売れ行きがあったと思われ、一説には20万枚売れたとも言われるが、実売数はレーベルオーナーのTIM WARRENのみぞ知る、、、。

年が明けて1995年になると、東京のガレージシーンをコンパイルした“TOKYO TRASHVILLE”がリリースされて、そのリリースライブもあったりしたが、ライブのペースは月1回くらいのスローなものになる。
3月にはTHE WOGGLESの来日があった。THE WOGGLESはどちらかというと60s寄りの音楽性を持つバンドで、パンクロック的な要素の濃いTEENEGENERATEとは少しイメージが違うし、レコードでのTHE WOGGLESは大人しい感じもした。特にWALLABIESから出したシングルはサントラをイメージしたもので、まあ、正直少し興奮が足りなかったのだが、観て納得のパワフルなパフォーマンスであった。そのすぐ後になるが、対称的にREGISTRATORSを中心とした流れとなるパンクロック企画ライブCHLOROFORMの第2回があり、ここにTEENGENERATEが参加。この流れが、ある意味解散への伏線とも言えるのだが、、、
5月になると最大のツアーメイトである、NEW BOMB TURKSの来日を実現させる。どの回もパンパンに人が入って、ガレージパンクシーンの盛り上がりが極まった感のあるライブだった。日本のバンドだけではない、また来日のバンドを有難がるでもない、同じ地平で海外の仲間と繋がってロックしている感じが素晴らしかった。そのあとギターウルフがOBLIVIANSを呼んだりしたりということもあったりもしながら、ライブを頻繁にやって10月の後半になるとUSツアーに出る。約2か月、37箇所、半分ほどがNEW BOMB TURKSとのツアーとなった。

しかし、ツアーの終了ともに、95年いっぱいで解散という情報が囁かれるようになっていった。思えば、前兆はあるといえばあった。東京のシーンでは、REGISTRATORSやCHLOROFORMの流れが70sパンクを突き詰めるようになり、日々、パンクとはなんだろうか?みたいな話があったりして、ガレージとパンクをきっちりと分けるような動きとなっていった。そして、70sパンクのオリジナル盤を買うことが一つのトレンドとなり、バンドたちも徐々に支持を得るようになって、CHLOROFORMは人気のイベントとなっていった。Fifiと大槻(REGISTRATORS)はその尖った動きの先端に居たわけで、Fifiのルックスもだんだんとパンクロッカー然としていった。もちろんFinkもパンクロックは好きではあるが、CHLOROFORM以外のライブには出演しないというFifiの姿勢とは相容れないものがあった。他にも理由はあるとは思うが、この、70sパンクを突き詰める空気が逆にTEENGENERATEを解散に向かわせたのではないか。しかしながら、皮肉なことにそのFifiの姿勢が後期のTEENGENERATEに鋭いパンク・ロックの要素を多く加えていて、TEENGENERATEがより強烈にカッコ良いバンドになっていたとも言える。解散のことはSammyもShoeもツアー中には知らなかったという。
ツアー中に決まったのか、それ以前から決まっていたのか、定かではないが、1995年12月1日発売のDOLLには”BREAK UP! FINAL ACTION!”と銘打った国内ツアーのスケジュール広告が出ているので、多分、USツアー以前から決まっていたのだろう。そしてUSツアーから帰国すると、解散するという噂が拡がり、ライブにも大勢の客が駆けつけるようになった。最後の数回、目に焼き付けよう、と。
東京では12月のライブはSHLETERが2回とJAMが1回あった。僕自身は実はJAMのライブを知らなくて、行くのを逃している。12/23のライブは、蕨が記録に残すため録音していた。後にそれを僕が譲り受けてリリースしたのが“LIVE AT SHELTER”である。
解散ライブは1995年の大みそか、シェルターだった。客は超満員で入りきれない客や共演バンドなどがステージ上にも溢れていた。この日はシェルター始まって以来の動員記録だったと聞いている。それほどにギュウギュウであった。僕は写真を撮るためにステージ袖にいたが、ライブが始まると、場内入り乱れのグチャグチャになった。ダイブするヤツ多数でマイクも倒れまくる、そんな感じ。カメラのレンズが曇って拭いてもすぐ曇る。途中で写真を撮るのをやめて、ライブを観ることに専念した。いつものことだが、TEENGENERATEのライブは突風のように、あっという間に終わった。アンコールもあったと思うが、それでもあっという間だった。膨大なリリース、膨大なライブを凝縮した3年間で行い、世界をアッと言わせたTEENGENERATEが終わった瞬間だった。

その後、TEENGENERATEは幾度か再結成をしている。1997年にESTRUSの倉庫が火事で焼けた際に救済する意味でのベネフィット・ライブをやった。そのときは、すでに伝説化しつつあったTEENGENERATEを観に多数詰めかけ、ヒートアップした時に停電があったりしてドラマチックなライブであった。
2005年には急逝したギターウルフのBillyを追悼するライブに出演。同年、ニューヨーク、ニュージャージーでベースAzumi(現THE RAYDIOS)、ドラムJimbo (FIRESTARTER / TITANS)という変則メンバーでライブをやった。次の年2006年にはオーストラリアで再結成ライブをやっている。

そしてバンドの結成から20周年ということで、2013年に2つのライブがあった。この映画の冒頭にも出てくる、新代田FEVERでのイベントRock市Rock座での演奏。11月にスペインのガレージ・フェスティバルFUNTASTIC DRACURA CARNIVALに出演した。両イベントともTEENGENERATEがヘッドライナー扱いで、しかもソールド・アウトしている、ということで、彼らが本当に待たれていたということは言えるだろう。当時体験した人に加え、解散後に知った人たち、この映画に出てくるSteveのように、10代のときにTEENGENERATEを知ってその影響を強く受けて日本に来てしまうようなヤツ、そしてこのときのドラムをやったGregも10代のときにミズーリでTEENGENERATEを観ていた。

以上がTEENGENERATEの大まかな歴史である。TEENGENERATEを含む90sガレージの流れは、僕にとっては十分過ぎるほど大きな動きで、ブームと言ってもいいほどだったが、そこから数年の後、THE WHITE STRIPESやTHE HIVES、などの活躍によって、ガレージが完全にメジャーなものになっていった。そうした中で、TEENGENERATEは忘れられるどころか、その輝きが増して、多くのガレージ・ファンの間で伝説化していった。もちろん、さらなる再結成ライブを望む声が多いのだが、現在FinkはTHE RAYDIOSで、Fifi、SammyはFIRESTARTERで活動している。意図的に海外でのリリースやツアーなどを絞ってきた経緯もあり、TEENGENERATEほどの知名度はないと思うが、その音楽性、才能は衰えることなく続いている。もしTHE RAYDIOSやFIRESTARTERを知らなくて、そして聴く機会があれば絶対に逃してはいけない。TEENGENERATEとはなんだったのか、その答えの一部は現在の彼らのライブやレコードからも見つかるはずだから。
Get Action!!のパンフについて
パンフ表紙


映画を作っている途中、監督の近藤くんから、パンフは中上さんが作ってくださいと言われた。
断る理由は見つからなかったが、さてどうしたものかと思って自分で参考にしたのは過去に自分でつくったファンジンのSHAKY CITY!のTEENGENERATE特集で、それをもっと完璧なものにしようと考えた。
よくある映画のパンフではなく、ファンジンのようなものにしたかった。幸いなことにそれに反対する人はいなかった。

まずはデータ的なこと、レコード、CDのリリースはエクセルにまとめて、僕、飯島くん、近藤くんで継ぎ足し継ぎ足しで延々とメールのやりとりが続いていた。特にライブの情報に関しては飯嶋くんがヒデちゃんのフライヤー・コレクションや手帳から情報を拾ったりしてくれてずいぶん埋めることができたが、やはり海外のツアーはあいまいなところが多かった。海外のフライヤーやポスターから拾えるだけ拾って、あとはFINKやカツ本人にかなり思い出してもらったりしたのだが、完璧にはならなかった。たとえばガレージ・ショックに出たときに声を掛けられて急に決まったライブとかもあったようで、そういうのはフライヤーなんかもなかったりもする。やはり、ググれば何でも出てくるというのはウソだということが判った。活動期があと5年くらいズレていればかなりネットで拾えたのかもしれないが、2007年にFIRESTARTERのライブ履歴をまとめた時もそれなりに苦労したので、やはり、ネットにはなんでもあるわけではないんだということがあらためてわかった。

僕個人のことを言えば、TEENGENERATEはけっこう観ていた気でいて、TEENGENERATEに関してはいちばん詳しい風の顔をしていたけど、そうでもないんだな、ということ、飯嶋くんとかの方がよっぽど観ているし、近くにいたんだということが判ったし、さらに言うと、海外の部分は完全に見ていないので分かったつもりで彼らの本当の姿を分かっていなかったし、2,3年の間にこれだけ凝縮したことをやっていたんだということを痛感した。

ディスコグラフィーに関しては、コンピも含めたりすると50枚くらいになってしまった。僕の所有しているもののうち何枚かはFINKに直接もらったものだけど、本人も全部もっているわけではないということで、僕も地道にユニオンに通ったりしてけっこうなところまで集めたんだけど、これもまだ完全に集めるには至っていない。特に、レーベル・サンプラーのような既発音源が入っているものであるとか、プレス国が違うなどちょっとした違いのものは買うことになかなか意味を見出せなかったりして、なかなか手が出なかったりする。こうなるともう自己満足&意地でしかないんだけど、時間掛かっても全部集めてみようと思っている。

つづく
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